大逆事件をめぐって(上)革命闘争はまず恋愛から? 奔放に生きた管野スガ

本郷和人の日本史ナナメ読み
荒畑寒村

 ぼくが大学に入学した昭和50年代には、いわゆる「左」勢力のオルグ活動が盛んでした。夏休みなどに自然を満喫しながら合宿をし、改革を議論しよう。かわいい女の子も参加するよ、と勧誘を受けたのです。同級生だったぼくの妻などは、狭い場所での若い男女の共同生活とか、なんか気持ち悪い、絶対に行かない!と嫌悪感をあらわにしていました。まあ連合赤軍事件などを見ると、たしかに女性の「同志」は仲間内で人気が高く、複雑な男女の関係が育まれやすかったようです。

 今年のはじめ、和歌山県新宮市は大逆事件(幸徳事件)で刑死した同市出身の医師、大石誠之助(1867~1911年)に、名誉市民の称号を贈りました。大逆事件とは明治43(1910)年、明治天皇への爆弾テロを企てたとして、社会主義者・無政府主義者が次々と逮捕され、著名なジャーナリストであった幸徳秋水をはじめとする12人が処刑された事件ですが、実際に関与したのは宮下太吉・新村忠雄・管野(かんの)スガらで、幸徳や「毒取る(ドクトル)さん」と地元・新宮で多くの人に慕われた医師の大石らは冤罪(えんざい)であった可能性がきわめて高い。少なくとも新宮市は、大石は無実であると判断したわけです。

 皇族の弑殺(しいさつ)を大逆といい、そうした犯罪を広く大逆事件といいます。近代史上で大逆事件は4件計画されていますが、ふつう大逆事件というと、明治末年の幸徳事件を指します。国家元首たる天皇の暗殺という驚天動地の計画の存在を知った明治政府は、この機会に社会主義者や無政府主義者の一網打尽を図ったといわれます。ちなみに大杉栄、荒畑寒村、堺利彦、山川均らは獄中にいたために、事件への連座を免れました。

 ぼくはふとしたことから大石のことを調べていたのですが、そこで管野スガの事績に行き当たりました。彼女の思想とか社会活動の評価はぼくの手に余るのですが、なにしろビックリしたのは、恋愛に対する積極性です。大杉栄をめぐっての進歩的な女性たちの闘いは知っていましたが、スガさんもすごい。

 彼女は明治14年、大阪に生まれました。19歳のとき、東京深川の裕福な商人と結婚しましたが、郭(くるわ)通いの夫に嫌気がさして離婚。大阪に帰って宇田川文海(ぶんかい)という人に文学を学び、彼がオーナーである日刊紙「大阪朝報」の記者となりました。このころは女権拡張を旨とする記事を書いています。なお、宇田川とはそういう仲だったそうですが、否定的な見解もあります。

 その後、婦人運動から社会主義運動に転じ、堺利彦の知遇を得て、堺から毛利柴庵(さいあん)を紹介されます。既婚者であった毛利と交際をはじめ、彼が主筆を務める和歌山県田辺の「牟婁(むろ)新報」社に入社。同僚となった荒畑寒村と同棲(どうせい)を始めます(田辺や大石のいた新宮など、南紀は社会主義の勢いの強い地域だった)。ついで上京して商業新聞「毎日電報」に就職後、40年に荒畑と結婚。

 翌年、筆禍事件で入獄していた山口孤剣(こけん)の出獄を祝う会が発端となって、社会主義者弾圧事件である「赤旗事件」が起きました。祝う会に出席していた夫妻の内、荒畑は入獄。スガは過酷な取り調べののち釈放。このとき彼女に救いの手を差し伸べたのがアナキストであった幸徳秋水で、2人は同棲生活に入ります。幸徳にも妻がおり、今でいうダブル不倫でしたから、世の注目を浴びました。スガは獄中の寒村に離縁状を送って離婚。この一件は、同志の間でも評判がよくなかったそうです。そして、やがて2人は湯河原で湯治療養(スガは結核を患っていた)しているところを逮捕され、ともに死刑判決を受けることになったのでした。

 当時の女性は現代とは比較にならぬほどに厳しい環境に置かれていました。そうした彼女たちが女権拡張を志したときに、政治よりも経済よりも、まずは恋愛の面において進歩的なふるまいを示すことは理解できます。とりあえず恋愛は、男性と女性とが合意すれば先に進めるからです。自由であることを追い求めたがゆえに、スガは奔放とも見える生き方を貫いたのでしょうか。(次週に続く)

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【用語解説】管野スガの元夫、荒畑寒村

 1887~1981年。社会主義者・労働運動家。日本共産党と日本社会党の結党に参加。戦後3年ほど衆議院議員。本名は勝三。6歳年上の妻・管野スガから離婚された時には激怒し、殺害まで計画したという。3回の結婚の後、90歳で40歳の女性に熱烈な恋をした。純粋なんだなあ。

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【プロフィル】本郷和人(ほんごう・かずと) 東大史料編纂所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。