【皇太子さま仏ご訪問】記者会見全文(上) 「(日仏交流の歴史に)思いをはせたいと思います」 - 産経ニュース

【皇太子さま仏ご訪問】記者会見全文(上) 「(日仏交流の歴史に)思いをはせたいと思います」

 --日本との友好160周年を迎えたフランスを初めて公式訪問されるのにあたり、抱負とフランスの印象をお聞かせください。英国留学中の昭和59年にフランスを旅行された際の思い出、平成6年に公式訪問された天皇、皇后両陛下からお聞きになった話も併せてご紹介ください。フランス政府からは雅子さまへのご招待もありましたが、今回雅子さまが訪問を見送られたことの受け止めと、雅子さまの現在のご体調についてもお聞かせください
 皇太子さま「この度、日仏友好160周年という節目の年に、フランス政府からの御招待により、初めて同国を公式訪問できますことを、大変うれしく思っております。御招待いただいたフランス政府に対して、厚くお礼を申し上げます。私にとりまして、フランスを訪れるのは、平成3年にモロッコ国・英国を訪問する途次に立ち寄って以来、27年ぶりとなります。
 今回の訪問は、1858年に日仏修好通商条約が締結されてから160周年という節目の年に行われます。歴史をたどれば、両国民が初めて接点を持ったのは、伊達政宗の派遣した支倉常長が率いる慶長遣欧使節が、1615年に南フランスのサン・トロペに偶然立ち寄ったときであるとされます。その後、江戸幕府の鎖国政策などもあり両国間の往来はおよそ2世紀にわたりほぼ途絶えていましたが、この条約の締結によって、両国は再び交流の窓を開くことになり、それ以降、両国の間では、経済、文化、科学技術、教育など様々な分野で幅広い交流が行われてきました。そして160周年となる今年は、「ジャポニスム2018」と題して、パリを中心に多くの行事が行われており、私自身も、今回の訪問中に幾つかの行事に出席することを楽しみにしております。
 私が初めてフランスを訪問したのは、昭和59年の春、イギリス留学中のことでしたが、ロンドンからパリに到着すると、太陽の光が少し強く、それが、パリに多く見られる白い建物をより引き立てているように見えました。フランスの絵画やファッションなどの芸術が花開いたのには、この陽光も関係あるのではないかと、そのとき思ったことを記憶しています。
 このときのフランス訪問に先立って、オックスフォード時代の私の指導教授のピーター・マサイアス先生は、フランスは、北はチーズとバターで南はオリーブの文化圏のようなものだといったようなことを言われました。確かに、実際に訪れてみても、北部フランスは、森林があり、放牧も盛んなのに対して、南仏に行きますと、セザンヌの絵画にもあるように、土の色や風景も異なり、オリーブ畑が広がっており、マサイアス先生のおっしゃったことはこのようなことなのかと思いました。それのみならず、留学時代に3回ほどフランスを訪れてみて、サン・マロなどの北部の風光明媚(めいび)なブルターニュ地方、多くの古城で知られるロワール地方、名だたるワイン畑が連なるボルドー、ニースやカンヌなどの南部の陽光あふれるコートダジュール、モンブランを間近に仰ぐ山岳地帯のシャモニや中部の代表的都市であるリヨンなど、フランスは、地域それぞれに特色あふれる多様な自然や伝統、個性を持った国であるとの印象を強く持ちました。同時に、絵画や音楽、建築や料理などを通して、フランスの歴史や文化の奥深さに触れることもできたように思います。
 このほか、フランスは、今年のサッカーのワールドカップでの優勝や、少し時代は遡りますが、グルノーブル・オリンピックにおけるジャン=クロード・キリー選手のアルペンスキーでの活躍、私も日本でお会いしたことのある、ヒマラヤのアンナプルナに初登頂したモーリス・エルゾーグ氏や柔道の優れた選手などを多く輩出するスポーツが盛んな国との印象もあります。
 同時に、日本が明治以降の近代化を進めるに当たって、フランスが大きな役割を果たしたことも、この機会に是非とも触れておきたいことの一つです。代表的な例としては、2014年に世界遺産に登録された富岡製糸場は、リヨンの絹工場で働いていた技師、ポール・ブリューナ氏を始めとするフランスの技師や職人の指導により建設されたものであり、そこでの工員への技術移転がその後の日本の産業発展を力強く支えたことはよく知られていると思います。また、横須賀の造船所建設を指揮したフランソワ・レオンス・ヴェルニー氏は、単に造船所を建設し、艦船の建造や修復に携わっただけではなく、日本人技師の育成にも取り組み、我が国における理工系教育の発展にも大きな役割を果たしたとされています。法律分野でも、「日本近代法の父」として有名なギュスターヴ・ボアソナード教授は、日本の近代法制の整備に大きな貢献をするとともに、法学教育の面でも多くの人材を育てました。
 一方で、浮世絵や日本画といった日本独特の文化が、フランスの芸術、特に印象派に大きな影響を与えたことも、よく知られていると思います。19世紀には、1867年と1878年に開催されたパリ万国博覧会が、日本の紹介に大きな役割を果たしました。最近では、毎年、伝統文化から日本食やポップカルチャーまで幅広い日本の文化を紹介するジャパン・エキスポという大規模行事がパリなどで開催され、20万人以上の人が集まっていると伺っており、フランスにおける日本への関心の強さと高まりも印象深く思っています。
 このような背景の下、今回のフランス訪問において、特に私が関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししたいと思います。
 まず、今回の訪問を通じて、我が国とフランスの間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたいと思います。先ほど述べたように、両国間では、19世紀半ば以降、幅広い交流が進められてきました。今回の訪問では、リヨンの織物博物館を視察する予定ですが、特に生糸と絹織物は、両国が各々発展を遂げる中で大きな役割を果たしてきました。富岡製糸場のことは先ほど触れたとおりですが、1855年に欧州で大流行した蚕の病気により、当時世界一と言われたフランスの養蚕業と絹織物が壊滅的な打撃を受けた折には、日本から蚕種と生糸がフランスに輸出され、これら産業の再興に貢献したと承知しています。また、1960年代から70年代にかけて、ブルターニュ地方を始めとするフランスの牡蠣(かき)が疫病などにより絶滅の危機にひん瀕した折には、三陸産の牡蠣が同国の養殖業の再興に大きく貢献しました。これに対して、東日本大震災で被災した三陸の牡蠣養殖業者は、フランスから牡蠣の養殖のための資材の提供という復興支援を受けました。こうした交流が、お互いに良い影響を与えながら今日の両国の発展と友好関係を形作ってきたということに、改めて思いを致しながら、様々な施設を訪問したいと思います。また、在留邦人や、日本にゆかりのあるフランス人といった方からも、両国の交流の歴史と現状についていろいろとお話を伺いたいと思います。
 第二に、本年7月から来年2月にかけて、パリを中心にフランス国内で様々な記念事業が開催されますが、それらを契機として、今後両国間の交流と友好親善が更に深まることを期待しています。特に今回の訪問では、歌舞伎や能公演、若冲展といった行事に出席する予定ですが、こうした日本の伝統文化や、最近のポップカルチャーがフランスにおいてどのように評価され受け入れられているかについて、実際に肌で感じ取れることを楽しみにしています。また、日本語を勉強している若い学生や高校生などともお会いする予定です。こうした日本に関心を持ち、日本との関係に強い意欲を持つ若い世代は、今後の日仏間の友好親善関係を増進していく上でも、とても大切な懸け橋となっていくものと思います。こうした人たちが、これからの日本との関わりの中で、有意義な経験を積み、活躍していかれること、また、日本の同世代の人たちとの交流を深められることを期待しております。そして、私の今回の訪問が、そうした将来の相互理解と友好関係を深めていく上での一助となるよう願っております。
 天皇皇后両陛下には、平成6年に国賓としてフランスを御訪問になったほか、天皇陛下には皇太子でいらっしゃった昭和28年にも同国を御旅行になっており、その際の訪問先でのことや、お会いになった人々の優しさ、心温まるおもてなしなどについては、折に触れて両陛下より伺っております。また、1921年にフランスを御訪問になった皇太子時代の昭和天皇は、エッフェル塔に登られ、パリ市街を眺められたと伺っておりますが、今回私は、エッフェル塔のライトアップの点灯式に際し、対岸のシャイヨー宮からエッフェル塔を見上げることになります。
 雅子については、今回、フランス政府より御招待を頂いたことを、大変有り難く思っており、できれば訪問したいとの気持ちでおりましたが、訪問中の諸行事や、現地での移動を含む日程、さらには、今回の訪問の前後における国内での諸行事日程などを総合的に勘案した結果、今回は私一人で訪問することになりました。雅子は、フランスのグルノーブルとブザンソンで2度語学研修を受けるなど、思い出も多い国の一つですので、今回お伺いできないことを大変残念に思っております。
 これまでもいろいろな機会に述べてきましたとおり、雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、努力と工夫を重ね、公私にわたってできる限りの務めを果たそうとしておりますが、依然として体調には波もありますので、外国訪問を含め活動の幅がすぐに広がるわけではありません。引き続き、焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います」