明治150年を振り返る 民主主義を考え直すとき 日本漢字能力検定協会代表理事会長兼理事長・高坂節三

解答乱麻

 明治維新を機とする「文明開化」から現代に至るまでの150年間に、日本はさまざまな領域で大いなる変化を経験してきた。私自身が関係している「漢検 漢字博物館・図書館」(通称・漢字ミュージアム)でも、「明治150年と漢字」という連続講座を企画している。

 明治2年、全国に先駆けて「番組小学校」という64校の小学校を民間の力で立ち上げた京都市でも、学校歴史博物館で「明治150年 京都の学校史をたどる-小学校編」を開催している。この展示からは、150年の小学校の変遷とそこに生きた人々の生きざまを知ることができた。

 なんと言っても「先の戦争」が与えた小学生への影響の大きさを身に染みて感じたのである。「集団疎開の生活を絵巻物にした作品と、その時の思い出を書いた言葉」に強烈な印象を覚えた。お習字習い帖(ちょう)を大切に保管されている方もいた。小学4年生の時に集団疎開を余儀なくされ、その年に終戦、5年生の時には自宅に戻られ、学校名も国民学校から小学校に変更、書かれた文字も「ウチテシヤマム」から、一変「世界永遠平和」に代わっていたのである。

 この分厚いお習字習い帖をお母さんが大切に保管されていたという。出征兵として遠く仏印に派遣されていたお父さんが帰国された時に、子供の成長過程を見せるために保管されていたという。お気の毒なことにお母さんが、お父さんに見せる機会は二度と来なかった。

 「しずかなしずかな 里の秋」で始まる小学唱歌の3番目の歌詞「さよならさよなら 椰子(やし)の島 おふねにゆられて かえられる ああ とうさんよ ご無事でと 今夜もかあさんと 祈ります」。哀調こめたこの歌は、当時、出征兵として戦地に送られた留守家族の人々の祈りの歌であったに違いない。大黒柱を失ったこの小学生は中学を出てすぐに地元の会社に就職し、高校生活は夜学生として頑張り、80歳を超えた今は地元の町のボランティアとして活動を続けておられる。

 「日本はかつてはきわめて貧しく、農業を主とした国で厳格な階級と身分に縛られていたが明治維新から30年後、近代国家となり、帝政ロシアを破れるほどの軍事大国になり、世界貿易の重要な一角を占めるようになった…日本も結局は明治の成功に縛られてしまった。…日本の独立を守るという手段にすぎなかった軍事力が目的そのものにされてしまった」(ピーター・ドラッカー『マネジメント』)

 同世代を生きた作詞家、阿久悠は当時のことをこう記している。「教科書にべっとりと墨を塗り、心の誇りを封じこめて、敗者として恭順の意を示した。…民主主義は、誰かの先生の口を借りてここで(通っていた都志小学校)第一声を発した。それは実に“昨日までのことは悪いこと、昨日までと逆のことをやったらよろしい”といった乱暴な定義づけで、先生よりは生徒がえらい、巡査より泥棒がえらい、親より子がえらいといった解釈が大真面目で通用した。ぼくの仲間にも、先生に不行儀を咎(とが)められると、“先生民主主義やで”と恫喝(どうかつ)の手段に使うのがいたくらいである。

 思えば、この愚かしく、滑稽で、乱暴な民主主義の解釈を、その後誰も修正していない。政治家も教育者も正解を語っていない。ぼくらちりめんじゃこのような少年が、それぞれ成長の過程で、わが内なる民主主義を確立させただけ」(阿久悠『生きっぱなしの記』)である。

 明治150年、あらためて民主主義を考え直す必要があると思う。

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【プロフィル】高坂節三

 こうさか・せつぞう 経済同友会幹事、東京都教育委員など歴任。平成23年春から漢検理事長で現在、代表理事会長兼理事長。兄は政治学者の故高坂正堯(まさたか)氏。