織田信長が今川義元から奪った「天下取りの刀」義元左文字復元プロジェクトが熱気 生誕500年ひかえ - 産経ニュース

織田信長が今川義元から奪った「天下取りの刀」義元左文字復元プロジェクトが熱気 生誕500年ひかえ

刀を鍛える内田義基さん(提供写真)
臨済寺の今川義元座像(提供写真)
復元プロジェクトのメンバー。(左から)水木良光さん、内田義基さん、佐野翔平さん、渡邉剛広さん(提供写真)
 戦国大名の今川義元らが愛用し、桶狭間の戦いで織田信長に奪われた刀、「義元左文字」を現代に復元するプロジェクトが有志によって進められている。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が所有し、家康は大坂の陣に持っていったとの説もあるため「天下取りの刀」との異名も持つ。2019年は義元の生誕500年にあたり、来年5月の完成をめざす。(WEB編集チーム 高原大観)
 発起人は静岡を中心に、戦国時代のイベントによろい武者役で出演する活動などを行う「遠州鎧仁會」(えんしゅうがいしんかい)の佐野翔平さん(27)だ。刀鍛冶の内田義基(よしもと)さん(48)が刀身を担当し、鞘や柄などの外装を同じく刀鍛冶の水木良光さん(34)が担当する。また、大河ドラマ「おんな城主直虎」で義元を演じた静岡県出身の落語家・春風亭昇太さんを名誉会長、静岡大学名誉教授の小和田哲男氏を名誉顧問に迎えた。歴史的な見地から助言をおくるという。
■凡将ではない実像
 佐野さんは「義元は信長に桶狭間の戦いで敗れたということで、世間の評価が低く感じる。しかし、おひざ元の静岡に住んでいると、世間での評価が低いことに違和感がある。義元は軍備を充実させると同時に内政にも優れた武将だった。今回の復元企画を通じて再評価につなげたい」と話す。
 生誕500周年を迎えることを機に義元が統治していた静岡では再評価の動きが広がっている。ゆるキャラの「今川さん」もデザインされた。「静岡で有名な武将は徳川家康」との従来のイメージに異を唱えることなども目的という。
 家康の前には義元が「海道一の弓取り」(武将)と呼ばれており、駿河(静岡県)、遠江(静岡県)、三河(愛知県)を領する大名として確固たる地位を築いていた。軍事面においては三河に侵攻してきた織田信秀(信長の父)を撃退し、外交面においては国境を隣接して強大な軍事力をほこる武田信玄や北条氏康と甲相駿三国軍事同盟を締結して国境付近での争いを沈静化させた。内政面では領国を統治する法の「今川仮名目録」に追加の条文を加えて室町幕府からの自立を果たした。金山開発もすすめ、金の採掘を行うと同時に領土の東西を通る東海道での物資流通を促進するなどして国を富ませた。また、家臣団の結束を強化させるなど優れた施策を行っている。暗愚な将とはほど遠い。
■幻の姿
 「義元左文字」は刀匠・正宗の十人の高弟の一人に数えられる左文字源慶の作とされている。自身の作品に「左」の文字を入れることから左文字と呼ばれる。三好政長が初めに所持し、その後武田信虎(信玄の父)を経て今川に伝わった。桶狭間の戦いで義元が所持していたものを信長が入手した。信長は二尺六寸(約78センチ)の長さを二尺一、二寸(約69センチ)まで短くして持ち手の表に「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持刀」、裏に「織田尾張守信長」と彫り、金で文字を書いた。
 その後豊臣秀吉の手を経て秀頼に受け継がれ、徳川将軍家のもとへ渡った後に明暦の大火にあう。修復のため再度鍛え直された。明治になり、京都に信長をまつる建勲(たけいさお)神社が建てられると、徳川宗家から奉納され、今日にいたる。刀の模様などは変わっており、義元が持っていた当時の姿は残っていない。
 刀身の復元を担当する内田さんは「文献など資料が少なく、当時の刃の模様などは想像で補う部分もある」と話す。
 佐野さんは「この企画を通じて義元の魅力を多くの人に伝えたい」と話している。