『個人完訳 小泉八雲コレクション 心 日本の内面生活がこだまする暗示的諸編』 俳優・浜畑賢吉 日本らしさ捨てた日本の衰退予見したハーン

この本と出会った
『個人完訳 小泉八雲コレクション 心』

 このたび、縁あって明治の文筆家、ラフカディオ・ハーンを舞台で演じることになりました。

 ハーン=小泉八雲と聞くと『怪談』がすぐに思い浮かびますが、ハーンの芝居を創(つく)るにあたり改めて他の作品を読み返してみて、西洋と東洋を見渡してきた類(たぐ)い稀(まれ)な洞察力で日本を見ていたことに驚かされました。赤子が舐(な)めた舌で世間の事象を感じるように、五感全てを使って日本人の内面を舐め取っていたように思えます。

 「停車場にて」は、熊本市中で起きた強盗事件の結末を描いています。かつて犯人は捕縛を振りちぎって巡査のサーベルを奪い、巡査を殺して逃げていました。その凶悪犯をみつけ熊本駅に連行した警察官は、見物する大勢の市民の中から巡査の妻とその背に負われた男の子を呼び出して犯人と対決させたのです。

 警察官は母親にではなく、事件当時はまだ生まれていなかった背中の子供に話しかけるのです。「坊やを可愛(かわい)がってくれるお父さんがいないのはこの男の仕業(しわざ)なのだよ。辛(つら)いかもしれないが、良く見て御覧(ごらん)!」と。子供はついに泣き出しますが、犯人も耐え切れずに「御免なあ! 坊や、許してくれ!」と、心からの悔恨の情を吐露します。憎くてやったんじゃない、怖くてしたことだと、子供に許しを請うのです。

 それを見ていた群衆もすすり泣きを始め、やがて警察官は犯人を連行していくのですが、ハーンは、私がかつて見たことのないものを見た、日本の警察官が目に涙を浮かべていたのである、と表現しています。そしてその悔恨の情は犯人の父性を通じてなされた、極めて日本的なものだと見ているのです。

 私はそこにハーンが気付かないうちに描いてしまった現象も気になります。まだ貧乏な国だった日本には、食べるためにやむなく罪を犯した人がいたことです。戦後の日本にもそういう犯罪があったことを覚えています。遊ぶ金欲しさに簡単に人を殺してしまう現代の犯罪とはどこか違っています。作品の中の群衆のすすり泣きも、私が芝居の稽古場でこれを朗読したときに、仲間が涙ぐんでくれたのも、多分に犯人の生きてきた状況への同情も含まれているのではないかと感じるのです。

 そして犯人を連行した警察官とは、井上智重著『異風者伝(いひゅうもんでん)』によると、幕末に近藤勇をつけ回したこともある剣客で、維新後は警察官になるが、犯人を捕まえても説諭して釈放したために、出世などせずに人生を送った井上平太という人でした。こんなサムライの警察官は現代では通用しないでしょうが、だからこそこの話に感動させられるのです。

 小泉セツと結婚して帰化まで果たしたハーンは、大好きな日本の将来を見抜き、質素、剛健、正直によって営まれてきた自然な生活を忘れ、西洋の奢侈(しゃし)に走ったら日本は衰退するとまで予見しているのです。現代の私たちでは及ばぬほどに日本人を見抜いていた人だと思います。(小泉八雲著、平川祐弘訳、小河出書房新社・2400円+税)

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 【プロフィル】浜畑賢吉

 はまはた・けんきち 昭和17年、東京生まれ。俳優座養成所を経て41年劇団四季入団。平成6年独立。大阪芸術大学教授・舞台芸術学科長。本日午後6時から熊本市民会館で上演される舞台「ハーンが見た『熊本のこころ』」でハーン役を務める。

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 小泉八雲(1850~1904年)はギリシャ生まれのアイルランド系作家で、本名はラフカディオ・ハーン。明治29(1896)年に英語で刊行した『心』は、日本人の内面生活を主題にした小説やエッセーなど15編を収める。