第4部 万博(4)2025年誘致活動 “負の遺産”が大阪復権の起爆剤になる

明治150年
2025年万博の構想

 大阪の海の玄関口、天保山(てんぽうざん)(大阪市港区)。海に面した広場に巨大な記念碑が立っている。

 「明治天皇観艦(かんかん)之所」。幕末の慶応4(1868)年初め、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れた最後の将軍、徳川慶喜(よしのぶ)は、大坂城から天保山を経て江戸へ敗走した。この碑は同3月、天皇として約500年ぶりに京都を離れ、この地で新政府軍に参加する各藩の軍艦を眼下に見た明治天皇による、日本初の観艦式の歴史を記すものだ。つまりこの碑は、大阪が明治の始まりの重要な舞台だったことを伝えている。

 かつて明治天皇が望んだ天保山沖には現在、当時は姿形もなかった広大な人工島「夢洲(ゆめしま)」が浮かぶ。東京への一極集中が叫ばれて久しい中、2025年にここで大阪2度目の万博を開こうと、誘致活動が展開されている。

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 「東京(五輪)も2度目、大阪万博も2度目といきたい」と、万博誘致に意欲を示すのは大阪府の松井一郎知事だ。

 当時の府の人口の10倍近い延べ約6千万人の来場者を集めた昭和45年の大阪万博を、幼少期に経験した。高速道路・地下鉄の整備、空港の国際化などが国家プロジェクトとして進められ、華やかなりし大阪を肌で感じた一人だ。

 しかし成長は、大阪万博の時代をピークに下降。44年に12%だった実質経済成長率は低下し、東京への経済・人口の集中が進んだ。万博でにぎわった大阪も経済の地盤沈下が続き、一地方都市に埋没する。

 埋没の象徴ともいえる存在が、2025年万博の開催候補地、大阪湾の人工島・夢洲だ。昭和63年、大阪市が市制100年記念事業として「テクノポート大阪」を計画し、新都心を生み出そうと数千億円を投じて開発したが失敗。さらに、ここに2008年夏季五輪を招致しようとして惨敗した。

 この負の遺産、夢洲に目を付けたのが「維新」を旗印に大阪で地域政党、国政政党を立ち上げた橋下(はしもと)徹・前大阪市長と盟友、松井知事だった。2023~24年に日本初の統合型リゾート施設(IR)を、25年に万博を夢洲で開催する構想を描く。そこには「万博こそが大阪復権の起爆剤になる」との熱い期待がある。

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 今年6月にパリで開かれた2025年万博の大阪誘致に向けた事実上最後のプレゼンテーション。ノーベル賞を受賞した大阪出身の山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長は、8歳で体験した大阪万博を「あふれんばかりの科学の成果があり、魅力に満ちていた」と振り返り、万博が科学者を志した原点だと語った。

 日本が掲げるテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。明治時代に途上国だった日本は150年を経て、世界を代表する長寿と技術力を誇るようになった。一方、世界では飢えや病気など深刻な課題が存在し続けている。健康・医学分野の最先端の研究機関や産業が集積する大阪・関西が、課題解決のために発信できるものは何か。テーマには、そのメッセージが込められている。

 幼少のころに大阪万博を体験し、複数の万博で日本館プロデューサーを務めた「現代芸術研究所」(東京)代表、平野暁臣(あきおみ)さん(59)は万博の効果をこう述べる。「日本人で良かった、日本に生まれて良かったという大きな自信が生まれた」。かつての大阪万博で、世界中から集まった最先端を目の当たりにし、敗戦を体験した世代は誇りを取り戻し、戦争を知らない世代は世界への大きな夢を抱いた。2025年万博も、未来を担う次の世代に大きな力を与えるはずだ。

 開催地が決定するのは今年11月。ライバルとして、ロシアやアゼルバイジャンが立ちはだかる。幕末から明治にかけて、日本は万博で世界に打って出た。明治150年となる節目の年、日本は再び万博で勝負に出ようとしている。=第4部おわり

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 この企画は酒井充、牛島要平、有川真理、杉侑里香、三井美奈(パリ)が担当しました。