【欲望の美術史】宮下規久朗 西郷隆盛 肖像に表れる英雄への思慕 - 産経ニュース

【欲望の美術史】宮下規久朗 西郷隆盛 肖像に表れる英雄への思慕

床次正精「西郷隆盛肖像画」1887年 郡山市美術館
高村光雲「西郷隆盛像」1898年 東京、上野公園
 西郷隆盛は国民的英雄だが、生前の写真は一枚も残っていない。しかし、その人気を示すように多くのイメージが作られてきた。西郷のこうしたさまざまな肖像が、NHK大河ドラマにちなんだ大阪市歴史博物館の「西郷どん」展(9月17日まで)に並べられている。
 西南戦争のときに数多く作られた錦絵では、ほとんどの場合、西郷は立派な髭(ひげ)をたくわえている。しばしば写真だと勘違いされる西郷像は、西郷没後の1883年にイタリア人のお雇い外国人の版画家、キヨッソーネが描いたもので、西郷に会ったことのない彼は、顔の上半分を西郷の弟の西郷従道、下半分をいとこの大山巌をモデルにして描いたといわれている。原画は焼失したが、西郷像の基準となり、その後の多くの西郷像に影響を与えた。
 西郷と面識のあった同郷の床次正精は維新後、判事をしながら独学で油彩を学び、西郷像を何度も描いた。石版画のものは右下に「西郷従道 黒田清隆 検閲」とあるので、弟の従道をモデルに、黒田の意見を参考に描かれたものと思われる。キヨッソーネの肖像にも近く、生前の西郷はこのような容貌であったと判断してよいであろう。
 西郷に師事した元庄内藩士の石川静正が、西郷の慰霊祭で掲げるために描いた肖像画は、今回の展覧会のポスターになっているが、温和で優しげな表情であり、作者の西郷への思慕の念が表れているようだ。
 だが、西郷像でもっとも親しまれているイメージは、東京の上野公園に建つ銅像であろう。「上野の西郷さん」として都市のメルクマールになって親しまれている。東京美術学校に制作が依頼され、高村光雲が同僚や弟子たちと10年近くかけて作った像で、木彫を原型としているため、仏像のような丸みのある造形となっている。
 しかし、1898年にこの像が除幕されたとき、西郷未亡人の糸が、主人はこんな人ではないと叫んで関係者をあわてさせたのは有名である。それほどまでに、この像は西郷に似ていなかったのだろうか。そうではなく、この像が浴衣の着流し姿だったため、西郷は浴衣姿で人前に出るような礼儀知らずではないと訴えたというのが真相だとされる。
 これより10年ほど前、京都に西郷の騎馬像を建設する計画があったが、発起人の死によって頓挫しており、また東京の西郷像も当初は、馬上の陸軍大将の軍服姿という計画であったのが、資金の問題から縮小されたものであった。糸はこうした計画を知っていた可能性があり、そのためにあの姿に落胆したのかもしれない。
 軍服姿のいかめしい姿や堂々たる騎馬像はたしかに英雄にふさわしいが、それよりも、この像はモニュメントとしては異例なことに、愛犬をつれた日常的な姿であるがゆえに、長く人々に愛されてきたのである。(美術史家、神戸大大学院人文学研究科教授)=月1回掲載します