【話の肖像画】歌手・俳優 ピーター(4) 黒澤映画で素顔の池畑慎之介に - 産経ニュース

【話の肖像画】歌手・俳優 ピーター(4) 黒澤映画で素顔の池畑慎之介に

歌手・俳優のピーターさん(佐藤徳昭撮影)
 昭和52年、美容師になるつもりで行った米ニューヨークで、ブロードウェーのさまざまなショーを見ました。そのとき、あまりにも出演者の笑顔がすてきで、自分の気持ちを見つめ直した。また舞台に立ちたくなったんです。「自分は客席で拍手している側の人間じゃない」と強く思ってしまった。
 父(地唄舞の吉村流四世家元で人間国宝、吉村雄輝さん)はいつも「舞台で舞う高揚感は何事にも代え難い」と言っていました。私は吉村流の跡継ぎとして3歳で初舞台を踏みましたが、お客さんから大きな拍手をいただいたときの気持ち良さは、ずっと覚えていたんです。芸能界に疲れ果てて訪れたニューヨークで、再び舞台に立ちたいと思った。そして、帰国して再始動することを決めたのです。
 〈帰国後、寺山修司さん演出の「青ひげ公の城」などの舞台に出演するうち、転機となる黒澤明監督の映画「乱」(60年公開)に出演する〉
 帰国後しばらくは、相も変わらぬ「ピーター」のイメージを期待される役ばかりで悩んでいました。そんな時、黒澤先生から「まだ製作は決まっていないが、僕の映画に出てくれないか」とオファーを受けたんです。プレッシャーは感じましたが、世界的な巨匠からお話をいただき、本当にうれしかった。
 やがて、この企画は戦国時代を舞台に、年老いた武将の秀虎が息子たちと争う「乱」という作品として正式に動き出しました。私は仲代達矢さんが演じる秀虎に付き従う「狂阿弥」という役をいただいたのですが、最初から私をイメージして絵コンテを描いてくださったということでした。しかも、黒澤先生は「ピーターとしての顔はいらない。お化粧をとってやろう」って言ってくださったんです。だから私は地毛で髷(まげ)を結って、すっぴんで出演しました。
 それまで素顔でスクリーンに出たことはなく、「ピーターらしくない」との声もありました。でも私としては、これまでのイメージを払拭することができ、肩の荷が下りたように楽になったんです。この時のクレジットは「ピーター」のままでしたが、私としては本名である池畑慎之介で演じることができた。ピーターという“着ぐるみ”を最初に脱がせてくださったのは黒澤先生なんです。
 〈この作品を契機に、俳優業は「池畑慎之介」、歌手・タレントは「ピーター」、そして、舞踊家「吉村雄秀」として幅広い活動を展開する〉
 父との確執はありましたが、舞うこと自体は好きだったので、吉村流の名取としての活動は続けていました。平成10年に父が亡くなった際、雄秀の名前は返上してしまいましたが、いろいろな名前を使い分けることで仕事の幅が広がっていきました。
 だけど、ピーターの名が私の活動を制約している、と感じることが多くなっていました。カタカナの名前では、たとえば時代劇など、ドラマや舞台でさまざまな役を演じるときに違和感があります。それに、何をしても「『夜と朝のあいだに』を歌っていた子だ」と言われる。ピーターの名で有名になったことへの後始末の付け方に悩まされました。
 ピーターや池畑慎之介の名を使い分けたり、男役も女役も演じ分けたりしてきたことで、私はずいぶんいろいろなことを経験することができ、他人よりも人生の喜びを多く得られたとは思います。けれど、何だか肉体的についていけなくなってきた。それは確かかな。(聞き手 三宅令)