史家・渡辺京二(5) 石牟礼道子という預言者

話の肖像画
渡辺京二さん(関厚夫撮影)

 〈昭和40~50年代、渡辺さんは「狂気まがい」で水俣病患者の支援活動にあたった。その動機として「袖ふれあうも他生の縁」「人におのずから備わる惻隠(そくいん)の情」「水俣病はしょせん他人ごとである。その他人ごとに、日本の生活民はどれだけ徹底的につきあうことができるのか。これは試みるに値する実験ではなかろうか」などと当時、つづっている〉

 その記述はその通りで、いまもそう思っています。また、そのほかにも理屈付けしたようなことをあれこれ述べていますが、実をいえば、石牟礼道子さんにいろいろと依頼され、「仕方がないなあ」ということで、「徹底的につきあ」うことになったというところでしょうか(笑)。

 〈今年2月、90歳で亡くなった石牟礼道子さん。代表作『苦海(くがい)浄土』は、被害者である漁民に寄り添いながら水俣病という公害病や現代社会がもつ非人間性を告発し、「救済」また「近代化」とは何かを問うた世界文学と評される。そんな石牟礼さんと渡辺さんの「二人三脚」は半世紀をゆうに超える〉

 石牟礼さんは広い意味では同志です。でもそれ以上に僕にとってはとてつもない才能をもった芸術家でした。芸術家は美を生み出すだけではありません。美しいもの、場合によっては恐ろしいものを描くことによって、人の生きる道、その根本を指し示すことができる存在なのです。こうした創造の力は頭がいいとか悪いとかとはまったく別次元であり、きわめてまれな才能です。

 若いときから、自分には芸術家の才能がないことを知っていました。でも芸術を鑑賞する(アプリシエイト)ことはできる。また芸術に対する尊敬の念と同時に、人間にとって非常に重要なそういう才能の持ち主と巡りあったならば、大事に大きく育て、世間に広く知らせるためにできる限りの努力をする。そう考えていました。だから、石牟礼さんとは同志であり、編集者とライターの関係でもありました。

 石牟礼さんは自分のことを小説家ではなく、詩人と考えていました。詩人というのは古代においては預言者の役割を担っていました。「言葉を預かる」という意味において石牟礼さんもまさにそうだったと思います。宗教的な預言者は神からの言葉を預かっています。ならば、石牟礼さんはだれの言葉を預かっていたのか。「山河の言葉」です。そうとしかいいようがない、非常に特異な作家でした。

 近代文学の視点からすれば、石牟礼さんの小説は欠陥だらけといえます。小説技法だけならば優れた作家はほかにたくさんいます。でも、日本の近代文学史を見渡したさい、石牟礼さんと比較できるのは宮沢賢治だけだと考えています。空前絶後であり、日本の近代文学にどうしても必要なものを表現した人でした。

 ただ、「編集者」としてはもう安心です。だって亡くなった後の特集や追悼といったらすごかったでしょう。僕も大変だっただろうって? いや、僕はもう関係ありません。みなさんがお書きになり、ますます新しい人が論じるようになっていますからね。だからもう安心。石牟礼さんに関しては、僕の仕事や任務は終わりました。あの人は、今後何百年もさまざまな形で論議され、研究されてゆく作家です。日本の近代文学、また存命する作家のなかでそんな人はどこにいます?(聞き手 関厚夫)=次回は小説家の真山仁さん