【話の肖像画】史家・渡辺京二(3) 「西郷どん」たちが見た夢 - 産経ニュース

【話の肖像画】史家・渡辺京二(3) 「西郷どん」たちが見た夢

夕焼けに浮かぶ西郷隆盛像 =東京・上野恩賜公園(関厚夫撮影)
 〈西郷隆盛。NHKの大河ドラマ化如何(いかん)にかかわらず、常にその生涯は敬愛と一種の不可思議さをもって語られてきた。西郷について渡辺さんはこれまでにいくつもの史論・評論を発表。また、『評伝 宮崎滔天(とうてん)』『北一輝』といった著作のなかでもその存在と思想はテーマの一つとなっている〉
 西郷を語るうえでまず指摘しておきたいことがあります。それは、江戸中期以降、農民・商人を問わず、自分は人間として非常に価値のあるものであるという意識、さらには身分制というのは社会を運営してゆく一つのシステムにすぎず、身分に貴賤はない、といった考えが広がっていったことです。端的な例が「人間は三千年に一度咲く優曇華(うどんげ)なり」-。これは「黒船来航」(1853年6月3日=旧暦)の直前、現在の岩手県太平洋沿岸部で起きた三閉伊(さんへい)一揆の農民指導者、三浦命助(めいすけ)が「獄中記」に残した言葉です。
 江戸後期には武士階級とは別に、民衆は民衆、また農民は農民の世界を持ち、自立していたのです。もちろん戊辰戦争のような天下の騒動は彼らの世界にも影響します。でも、それは一種の天災であり、過ぎ去るのを待つ、といった受け止め方でした。
 ところが、明治政府という近代国家が誕生し、四民平等をうたいながら国民一人一人を把握してゆくとともに、徴兵令や地租改正といった施策を次々と-農民たちの目からすれば強権的に-施行してゆきました。加えて、利害を異にする個人や法人が、合法的な競争のもとに決着や妥協を図る近代社会は、うまく立ち回った者が得をし、正直者は損をするという、それまでとは打って変わった神も仏もない世の中と映ったことでしょう。明治初期に多発した「農民騒擾(そうじょう)」にはそんな背景があります。
 こうした農民たちの心情を彼らの目線で理解していたのが西郷でした。小さな世界のなかで正直に働き、仲間と苦楽をともにしながら、実りある生活を営んでゆく。西郷は、そんな民の姿や江戸時代以来の伝統を併せ持つ農本的な社会に価値を見いだしていました。こういったまなざしは、たとえ政治家として非常に優秀であっても、同じ元勲の大久保利通(としみち)や木戸孝允(たかよし)にはなかったものでした。
 〈宮崎滔天と北一輝。前者は中国の「国父」である孫文と終生の親交を結び、中国革命に協力を惜しまなかったがために波乱の生涯を送り、後者は直接の関与はなかったにもかかわらず、二・二六事件の思想的首謀者として処刑された。渡辺さんの著作によると、2人は西郷の系譜に連なるという〉
 北は西郷や西南戦争について矛盾した見解を残しています。二・二六事件で逮捕される前には「自分は、西郷のように私学校生徒らにかつがれて城山で野垂れ死にし、あげくの果てに、上野の森で乞食(こじき)の親分のような恰好(かっこう)で立たされている馬鹿(ばか)ではない」などと豪語しています。ただ、基本的には流産した明治維新をやり直そうとする歴史的文脈の源流として西郷をとらえていたはずです。
 前述した民へのまなざしという点では、西郷を最も受け継いでいるのは滔天でしょう。彼は終生、農民を仲間とし、最後は故郷の熊本県荒尾村(当時)の村長になりたいと言っていたくらいですから。北は抜群に頭がいいから明治国家の分析は卓越しているけれども、相当うぬぼれも強くて…。個人的には滔天のほうが好きですね。(聞き手 関厚夫)