史家・渡辺京二(1) 国史に輝く「バテレンの世紀」

話の肖像画
渡辺京二さん(関厚夫撮影)

 〈近世・近現代史や思想史に緻密かつ大胆な論理と視点で切り込み続ける在野の「知の巨人」。と同時に、情と義を備えた志士の面影が漂う。そんな渡辺さんに「『バテレンの世紀』(近世)から『苦海浄土』(現代)まで」をテーマに語ってもらった〉

 以下は別に僕の創見ではなく、当時の史料に残り、日欧の学界の常識に属することですが、日本にとって西洋との「最初の出遭い(ファースト・コンタクト)」である16~17世紀、スペインやポルトガルをはじめとする欧州諸国は19世紀以後の西欧列強とは全く異なっていました。当時、スペインは欧州一の強国でしたが、産業革命を経た英国が二百数十年後にアジアに対したときのような、また日本にとって鎖国という中断を経て「第二の出遭い(セカンド・コンタクト)」となった「黒船来航」のときのような圧倒的な国力の差はなく、むしろアジアの方が経済的にも文化的にも先進国でした。

 日本に対する欧州の見方もしかりです。特に武力に関しては、イエズス会の宣教師の内部では日本征服論もあったようですが、実際のところ、当時の海軍力や動員力では軍事衝突に至った場合、勝てるはずがないことを彼らはよく知っていました。

 〈先日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)。そのルーツは前述の「バテレンの世紀」にある〉

 日本におけるキリスト教は庶民の信仰という面では非常に深いレベルにありました。そうでなければ多くの殉教者を出した島原の乱が起こるわけありませんし、禁教下にありながら潜伏キリシタンたちが約250年もの間、信仰を保ち続けることはできません。でもその一方で、庶民を導くべき日本人聖職者たちが思いのほか育ちませんでした。

 これは一つには、日本人の文化は非常に感覚的・感性的であるがゆえに芸術面では優秀なのですが、抽象的・論理的な思考を積み上げてゆく経験に乏しかったことに由来するでしょう。イエズス会の宣教師によると、日本人は非常に頭がよく、初等教育についての理解は目を見張るほどなのだが、いざ聖職者に必須となるラテン語によるスコラ哲学や神学の段階に入るとついてゆけなくなったそうです。加えて時間がなかった。キリスト教の伝来(1549年)から豊臣秀吉による伴天連(バテレン)追放令を経て、徳川幕府による禁教令まで60年ほどです。

 江戸時代には宗教の世俗化が進みます。禁教化しなくても他の宗教と同様、キリスト教は幕府にとって脅威ではなくなっていったはずです。もし禁教令などなく、そのままスコラ哲学や神学が根付いていたら…。江戸時代には朱子学が本格的に学ばれ、国学も生まれました。これらの学問の対決-言い換えれば、感性で理解する伝統に物事を抽象化してゆく思考が導入されること-によって新しい知が日本に生まれていたことでしょう。(聞き手 関厚夫)

                   ◇

【プロフィル】渡辺京二

 わたなべ・きょうじ 昭和5年8月1日(実際は9月1日という)、京都府紀伊郡(当時)生まれ。青少年時は父の転勤に伴い中国大陸の北京や大連などに居を移し、旧制大連一中を経て旧制第五高校(後に熊本大学に統合)を結核治療のため退学した後、法政大学社会学部を卒業。「熊本風土記」の編集者として作家・石牟礼道子さんと『苦海(くがい)浄土』を見いだし、石牟礼さんとともに水俣病患者の支援活動に尽力した。史家・評論家として『北一輝』や『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)『黒船前夜』(大佛次郎賞)をはじめ著書多数。近著は『バテレンの世紀』。熊本市在住。