【話の肖像画】富士そば会長・丹道夫(4)天童よしみさんにも詞を提供 - 産経ニュース

【話の肖像画】富士そば会長・丹道夫(4)天童よしみさんにも詞を提供

三笠優子さんとともにマイクを握る(本人提供)
 〈「丹まさと」というペンネームで作詞家の顔も持つ。五木ひろしさん、天童よしみさん、水森かおりさん、三笠優子さんらに作品を提供。これまで30作品以上がリリースされている〉
 歌の魅力に目覚めたのは17歳のころ、郷里の燃料店で住み込みの仕事をしていたときです。店員は数人いましたが、夜はみんな帰ってしまって独りぼっちになってしまいます。さみしくて仕方がなかった。そんなとき、竹山逸郎(いつろう)さんと平野愛子さんが歌う「愛染(あいぜん)橋」が、ラジオから流れてきました。薄幸の母と子を歌った作品です。とても感動し、ぼんやりと、「将来こういう詞が書けたらいいな」と思いましたが、そのとき抱いた夢はそれっきりになっていました。
 〈仕事が軌道に乗った45歳のとき、通信教育で作詞を学んだ。さらに富士そばが48店になった55歳のとき、東京・六本木の作詞の学校に通い本格的に勉強するようになった〉
 これまでの作品は1千曲近くになります。机に向かって作詞することもありますが、仕事で移動するときやゴルフに行ったときのちょっとした時間にも作っています。だから、いつも原稿用紙を持ち歩いています。目に映るもの、耳に入ってくる音、すべてが歌の材料になります。知らない人たちがしている会話にもヒントがあったりします。
 最近だと、「雨あがり」という作品が気に入っています。雨宿りをしていたときに、ふっと「雨あがり」という言葉が心に浮かびました。そこから発想して、人生を共に歩む夫婦の愛を歌った作品です。でも、この歌は自分の境遇を歌にしたわけではありませんよ。
 ある時期までは、富士そばが60店舗になったら、作詞家一本でやっていこうと考えていました。そのぐらい本気でやろうと。店が念願の60店になった69歳のころ、漫画家の東海林さだおさんと雑誌の対談をしました。東海林さんは富士そばをよく利用してくださって、ファンであることを公言していたからです。対談で「僕は作詞家になるんです」と言ったら、東海林さんの表情が険しくなりました。そして、「まだそんなことを言っているのか。君を信じてみんな働いているんだよ。そんなことで社員たちはどうなるんだ」と語気を強めました。ハッとしました。そして、本気でそばに命を懸けようと思いました。厳しいことを言ってくれた東海林さんには、心の底から感謝しています。
 今も作詞はしていますが、使っているエネルギーは3割くらいです。あと7割は本業です。作詞を続ける理由は、もちろん好きだからですが、本業だけやっていてはつまらないという気持ちもあります。
 それに、演歌には多くのことを教えてもらいました。演歌は逆境や人生の苦しみを表現するものです。いつも親しんでいれば、自然に人の気持ちが分かるようになるのです。
 〈富士そばの店内では、BGMとして演歌が流れている〉
 若いころ、たくさん苦労しました。その日寝る場所がなくて途方に暮れたこともありますから、いろんな境遇の人がいることを知っています。人が大勢いる都会だからこそ、1人でいると余計にさみしい。つらく苦しいときには、富士そばで、傷を癒やしてください。(聞き手 櫛田寿宏)