【話の肖像画】星稜高野球部元監督・山下智茂(5)松井秀喜よ、「監督」で恩を返せ 門下生に本田圭佑も - 産経ニュース

【話の肖像画】星稜高野球部元監督・山下智茂(5)松井秀喜よ、「監督」で恩を返せ 門下生に本田圭佑も

星稜高校野球部OB会で松井秀喜氏と笑顔で握手を交わす =平成26年、金沢市(山田喜貴撮影)
 〈強豪の私立校では全国から有望選手を集めるケースが多い。が、星稜高ではスカウトで選手を獲得することはない〉
 就任3、4年目のころ、(石川県)輪島市の中学にすごい選手がいた。校長と野球部長に頼んで、わざわざ一緒に行ってもらい、その選手の中学の校長に「うちの高校で」と頭を下げたんです。ところが「星稜? 知らんな」と言われた。確かに当時は無名でしたが、校長を前に失礼だし、悔しいですよ。「帰りましょう」と席を立ちました。それ以来、スカウトはしていないんです。
 最初は大変でした。でも小松(辰雄投手)らで甲子園4強入りし、箕島との延長十八回の試合があった以降は、スカウトをしなくても優秀な選手が集まるようになりました。
 〈競技は違うが、星稜の卒業生であるサッカー日本代表の本田圭佑(けいすけ)も“山下門下生”だ〉
 本田には社会を教えました。いつだったか自宅に遊びに来て、「松井(秀喜)選手のようになるにはどうしたらいいか」と聞かれたこともあります。「お前の人間性は好きだけど…」と言いながら、よく茶髪や服装を叱ったものです。「先生に会いに来るのに、ノーネクタイか。松井はネクタイ姿で来るぞ」と言ったこともあります。本田は「先生は厳しいですね。でも、誰もそんなことを注意してくれません。先生だけです」となついてくれましたね。
 〈監督として甲子園の優勝に最も近づいたのが、平成7年の夏。山本省吾投手(後に近鉄)を擁し、決勝進出を果たした。帝京に1-3で敗れ、悲願の優勝は成らなかった。出場は春11回、夏14回。頂点に立つことはなかった〉
 あの夏は4、5人の選手がけがをしていて、決勝でまともに戦える状態ではなかった。エース山本は左足の内転筋を痛めていたし、捕手は左膝の靱帯(じんたい)損傷という重傷だった。ほかの選手も骨折や腰を痛め、故障をおしてプレーしていましたからね。決勝まで、よく試合をやれたなと思います。
 結局、自分が監督だった38年間で明治神宮大会は2度、国体では1度優勝していますが、甲子園では優勝できなかった。それが人生なんじゃないかなと思いますよ。本当はたばこが好きで、車、ゴルフも大好きなんです。でも優勝するためには何かを断たなければならないと思い、願をかけて禁煙し、車も自分では運転しなかった。ゴルフもしなかったです。昔、ゴルフの練習をしたときはドライバーで飛んだし、やればうまかったと思うんですがね。
 まあ優勝していたなら、そこで燃え尽きていたかもしれない。優勝という目標があったからこそ、38年間やってこられたんだ、とも思います。
 〈現在、米国で大リーグ・ヤンキースのゼネラルマネジャー特別アドバイザーの要職にある松井秀喜氏に対しては、帰国して監督などに就任することを熱望している〉
 松井には日本のために、何がしかの恩返しをしてほしいですね。巨人でもほかの球団の監督でもいい。プロ野球のコミッショナーでもいいし、王貞治さんがハンク・アーロンさんらとともにやっている「世界少年野球推進財団」の理事長とかでもいい。国民栄誉賞を受賞したんですから、国民に恩を返すのは当然だと思います。(聞き手 江目智則)=次回は富士そば会長の丹道夫さん