【話の肖像画】星稜高野球部元監督・山下智茂(3)箕島との死闘、尾藤さんは笑ってた - 産経ニュース

【話の肖像画】星稜高野球部元監督・山下智茂(3)箕島との死闘、尾藤さんは笑ってた

星稜-箕島の延長十八回、箕島がサヨナラのホームイン =昭和54年8月16日、甲子園球場
 〈「高校野球史上最高の試合」と伝えられているのが、星稜が昭和54年夏に3回戦で箕島(みのしま)と対戦した一戦だ。この年、春夏連覇を果たした強豪相手に延長で2度リードしたが2度とも追いつかれ、再試合目前の延長十八回、3-4でサヨナラ負けを喫し、大金星を逃した〉
 人生観、野球観を変えてくれたのが、あの試合ですね。僕は練習でライバルチームのことを思い出して、「何くそー、勝つぞー」と闘志を燃やすタイプ。だから、練習中からユニホームの左胸に「打倒! ○○高」「打倒! ○○投手」とマジックで書いていました。江川卓(すぐる)(投手、作新学院、後に巨人)と書いたときもあるし、PL(学園)だったり、東海大相模のときは縦じままで書きました。
 あの夏、胸にはもちろん、「打倒! 箕島」「打倒! 石井(毅(たけし)投手、後に西武)」。何しろ、選抜の優勝チーム。対戦したときは何としてでも勝つつもりでした。だから、箕島の試合のビデオを毎日のように選手に見せて、徹底して研究しました。箕島の武器のプッシュバントをどう防ぐか、石井の決め球シンカーをどう打つかばかりを考えていました。
 〈試合には敗れたものの、伝説の死闘は指導者をも一回り大きくした。監督生活の中で「最高の試合」となった〉
 試合は延長十二回、相手のエラーで勝ち越しに成功した。ところが、(箕島の)尾藤公(びとう・ただし)監督のすごいところはエラーした選手を責めないんですよね。「ボールが跳ねたな」とだけ言うんです。だから選手が力を発揮する。その裏、嶋田(宗彦(むねひこ)、後に阪神)が本塁打を打ったんですが、そんな雰囲気が本塁打を打たせたんだと思いますね。
 チームは延長で2度リードしたが、そのたびに追いつかれ、延長十八回、サヨナラ負け。でも、たとえ引き分けたとしても、翌日の再試合で勝つ力は残っていなかった。その試合はナイターだったのに、再試合は朝に設定されていた。ベンチでそれを知った途端、がっくりですよ。
 試合中、不思議に思ったことがあるんです。僕はガンガン怒っている。ところが、相手ベンチの尾藤さんはいつも笑っている。なんでかな、と思っていました。後に自分の顔を鏡で見て、ハッと思いました。尾藤さんは選手を信じ、許すことのできる監督なんだなと思いました。
 勝つ野球をやろうとは思っていたけど、僕は育てる野球はしていなかったな、と痛感しました。それからいろいろな本を読んで勉強しました。あの試合では、尾藤さんに多くのことを学びました。
 このときのチームは、実は弱かったんです。飛び抜けていい選手はいなかった。でもチームのまとまりが抜群に良かった。そんなチームが優勝チーム相手にあそこまでいった。それが高校野球なんだなと思いました。試合後のインタビューで、勝った箕島の選手は泣いているのに、うちの選手は笑っていた。それだけ箕島の選手には重圧があったのでしょうし、うちの選手には充実感があったのでしょう。
 宿舎に帰り、みんなで風呂に入りました。ベンチ入り選手一人一人の背中を洗って、流してあげた。そのうち、誰かが校歌を歌い始め、やがて大合唱に。みんな涙を流しながら歌いました。勝つだけがすべてではないことを学んだ。監督生活38年で「最高の試合」でした。(聞き手 江目智則)