星稜高野球部元監督・山下智茂(2)松井の硬い手「ただ者じゃない」

話の肖像画
夏の甲子園の明徳義塾戦で星稜の松井秀喜は5打席連続で敬遠された =平成4年8月16日

 〈プロ野球巨人や米大リーグ・ヤンキースで活躍し、屈指のスラッガーとして名をはせた松井秀喜。原点は平成2年に入学した星稜高にあった〉

 僕はスカウトはしないんですが、松井が根上(ねあがり)中学3年の冬、中学の校長から会ってほしいと電話がかかってきた。両親と中学の校長・監督さんで会いました。星稜高で甲子園へ行きたい、大学は慶応へ進みたいという希望を持っていた。

 松井は部活動をやめてから勉強ばかりしていたのか、体重が約100キロもあった。これは駄目だなと思い、帰り際に「松井君、20キロ減量してくれるか」と言ったんです。「ハイッ」と返事は良かったが、内心、「そんな簡単なことじゃないぞ」と思いました。中学時代に何度か見たことはあり、教え子が根上中でコーチをやっていた。ある程度の力は知ってはいたんですが、別の高校へ行くとばかり思っていました。

 3カ月後の3月中旬、入試が終わって「松井君、合格おめでとう」と握手をしました。そのとき、衝撃を受けましたね。象のようなボロボロの手をしていたんです。受験勉強中もずっと、バットを振っていたんですね。僕もノックをやっているから分かるけど、バットを振っていると手の皮がむけ、また、それを我慢してやっていると、だんだんと象のように硬い手になってくる。ただ者じゃないな、と思いました。こんな手をして入学してきて、もし大選手にならなかったら、「僕に責任がある」と感じたものです。

 そのときに、約束したんです。1年で石川県内で一番、2年で北信越地区で一番、3年で日本で一番の選手になろう、と。「将来はON(王貞治、長嶋茂雄)に次ぐスーパースターになれや」とまで言いました。他の人は笑ってましたが。

 〈大きな期待を背負って星稜高に入学した松井は、順調に成長する。1年から4番打者として活躍、3年間で通算60本塁打をマークした〉

 1年生の夏、甲子園で4番を打たせたとき、松井が“天狗(てんぐ)”になったことがある。心を鍛えなければいかんなと思い、草むしりをやらせ、徹底して、本と新聞を読ませた。それで、すごく成長してくれましたね。

 松井は足が遅いし、守備にも難がある。打撃力はあるんですが。同期には、技術的には松井よりも上の選手が2人いたけど、ともにレギュラーにはなれなかった。松井は努力の天才。右翼への本塁打はいくらでも打てた。星稜のグラウンドのホームベースから右翼方向に140メートル離れたところに僕の家がある。松井の打球が屋根にバンバン当たって、4回ほど雨漏りしました。学校に言って修理してもらいましたよ。でも、それは僕にとっての勲章。教え子の打球で家が壊れるなんて、最高ですよ。

 松井が2年の秋、高校選抜で台湾遠征に行ったんです。試合で審判の判定がひどく、明らかに高めのボールもストライクとしていた。ふだんは感情を表さない松井がバットをほうり投げたんです。試合後、選手を集めて叱りました。「王さん、長嶋さんはどうして人気があるのか」「スポーツマンシップとは何だろうか」「高校野球とはどうあるべきか」と、4、5時間かけ、話をして聞かせました。それ以来、そんな態度を見せたことはなく、僕も一度も注意したことがありません。(聞き手 江目智則)