星稜高野球部元監督・山下智茂(1) 5打席敬遠…「力がなくて負けた」

話の肖像画
星稜高野球部元監督・山下智茂さん(江目智則撮影)

 〈平成4年8月16日、夏の甲子園2回戦の明徳義塾-星稜は異様な雰囲気に包まれた。スタンドは怒号が飛び交い、「帰れ」コールの大合唱。メガホンがグラウンドに投げられた。星稜の4番・松井秀喜(後に巨人)が5打席連続で敬遠されたことへの抗議。今夏、100回目を数える全国高校野球選手権の歴史の中でも特筆すべき“大事件”だった〉

 そうですね…あまり思い出すことはないですね。松井が帰省したときに、会ったときぐらいですかね。もちろん、その話は出ませんし、しません。

 あのチームは日本一になれた。前年秋の明治神宮大会で優勝し、春の選抜大会はベスト8。それだけに、夏こそはと思っていました。そのための練習はしてきた。敬遠ですね…。ランナーがいたときはしようがない。せめて(七回の)2死走者なしの場面では勝負してほしかったという思いはあります。

 投手は打たれてこそ、失敗してこそ、成長する。そういう意味でも勝負してほしかった。僕はアマチュアでずっとやってきたから、スポーツマンシップで戦った。(明徳義塾の)馬淵(まぶち)(史郎)監督は、社会人野球の監督をやってきたから、勝ちにこだわったのかもしれません。それで、いいんじゃないですか。うちは力がなくて負けたんです。

 〈試合中、スタンドから外野の芝へ投げ捨てられたメガホンを控え選手に拾いに行かせた〉

 グラウンド内に入ってはいけない。でも自分が行かせないと収まらないと思いました。「高野連(日本高校野球連盟)に叱られるな」とも思ったけど、後で高野連に呼び出され、「よくやった」と褒められた。注意されたことは何度もありますが、褒められたのは後にも先にも、あのときだけです。

 うれしかったこともあります。松井が打席で打つ構えで投球を待っていたこと。相手が勝負するつもりがないなら、打つ構えをしなくてもいいと考えてもおかしくはない。松井はふて腐れるわけではなく、一球一球、打つ構えでボールをよく見ていたし、静かにバットを置いて一塁へ向かった。「人間的に成長したな」と思いましたね。

 試合後、ダッグアウトでバットなどの用具の片付けをしていると、松井が(投手の)山口(哲治)と2人でやってきて「監督さん、すみませんでした」と謝ったんです。

 実は、松井らがこの年の2月、僕の誕生日に、ネクタイとカフスボタン、花束をプレゼントしてくれた。そのとき松井が「こんなものですみません。夏はもっと大きなプレゼントをします」と言ったんです。もちろん「甲子園優勝」。それができなくなったことを謝ったわけですが、その言葉を聞いたとき、スケールの大きな選手になってくれた、と感動しました。自分が悔しいだろうに。そのことが、指導者として大きな財産になりました。(聞き手 江目智則)

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 【プロフィル】山下智茂(やました・ともしげ)

 昭和20年、石川県生まれ。県立門前高、駒沢大を卒業後、42年に星稜高の社会科教諭と野球部監督に就任。野球部を春11回、夏14回甲子園に導き、箕島高との延長十八回の死闘や松井秀喜への5連続敬遠など数々の名勝負を繰り広げた。甲子園の最高成績は平成7年夏の準優勝。17年、38年間務めた監督を退いた。現在は星稜高野球部名誉監督、金沢星稜大学特任教授。甲子園歴史館顧問。