原子力規制委員会前委員長・田中俊一(3)現場に駆けつけたJCO臨界事故

話の肖像画
東海村臨界事故で沈殿槽周りの冷却水を抜き取る準備を行うJCO職員ら=平成11年10月1日、茨城県東海村(科学技術庁提供)

 〈ここで、時計の針を「3・11」以前に戻したい。平成11年9月、2人が死亡した茨城県東海村JCO臨界事故では、現地で事故収束に当たった〉

 当時は日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)東海研究所の副所長でした。9月30日の昼過ぎ、科学技術庁から一報がありました。よその事業所の事故でしたが、東海研究所の緊急防護態勢を取ろうと対策本部を立ち上げ、最終的にそこが政府の現地対策本部になりました。

 〈夕方になってようやく現場の情報が対策本部に集まり、臨界事故を起こしている沈殿槽周りの冷却水を抜けば、臨界を止められると判明する〉

 対策本部にいても仕方ないと、同僚と3人で午後11時ごろ、JCO事業所に行き、沈殿槽の冷却水を抜く可能性を探りました。冷却配管には3つバルブが付いており、3つとも開けっ放しだったのが幸運でした。作業現場は時間当たり数シーベルトの線量がありましたが、JCO職員と協力し、数分交代で作業を続けました。午前6時前に水が抜け、中性子の値がゼロになったのを見て、涙が出たのを覚えています。

 本部で議論していても意味がない。何日かすれば蒸発してなくなるかもしれないが、そんな状況ではなかった。福島県飯舘(いいたて)村での除染と同じで、何か問題が起きたら、問題を解決するために挑戦することです。これは私の哲学ですね。

 〈さかのぼって昭和38年、東北大に入学。工学部原子核工学科を42年に卒業した〉

 子供の頃から理科や数学が好きでした。工学部に進んだのは、就職が圧倒的にいいから。うちは貧乏だから長く大学にいられないし、出たらすぐ就職しないといけない時代だった。工学部なら物理的なこともできるし、エネルギー問題も影響があったかもしれません。

 〈大学進学した38年は、エネルギー問題で特筆すべき年だった。水力発電のために建設された黒部ダム(富山県)が完成。九州の三井三池炭鉱では、458人が死亡した炭塵(たんじん)爆発事故が起きた〉

 先の戦争だって石炭がない、石油がないといって戦線を拡大していった面があるし、敗戦後の復興では電気が足りないと言って黒部ダムを建設し、そこで多くの人が亡くなっている。炭鉱でも落盤や爆発事故の歴史があり、大変な数の人命を使ってエネルギーを確保し、戦後の復興を進めてきた。エネルギー問題は、国の存続に影響する課題なんです。国が独立して、生き抜くのは大変なことなんですよ。

 〈昨年9月の退任会見では、「委員長としての則(のり)を超えるかもしれない」と前置きしつつ、「国会での議論は原発の賛成、反対ばかり。もう一つ深めた議論をやっていただきたい」と苦言を呈した〉

 この山荘の近くにもソーラーパネルがあります。再生エネルギーの拡大はすべきですが、それだけで間に合うのかということは、いつも考えています。今は電力が足りているという議論もあるが、90%以上は火力発電で、燃料はガスか石油。中近東で何か起こったら、あっという間に大変なことになる。でも国会がそういうことをきちんと議論していない。規制委は原発を動かすとか動かさないとかという判断はしていないし、できません。日本は、産業立国でしか生きようがないでしょう。歴史的視野を持った、冷静な議論が与党にも野党にも必要だと思っています。(聞き手 鵜野光博)