大原美術館館長・高階秀爾(2) フランスで日本美術に目覚める

話の肖像画
高階秀爾氏(三尾郁恵撮影)

 〈東京で生まれ育った。姉と妹の3人きょうだい。父は東京高等師範学校(現筑波大)教授などを歴任した哲学者の高階順治さんだ〉

 父は秋田出身で、哲学を学んだり教えたりする以外は何もできない真面目な人でした。東京の小石川にあった借家には、たくさんの本がありました。家が狭いから玄関にもずらりと並んで…。哲学関連の本だけでなく、シェークスピアなどの戯曲もあり、子供心に「じゃじゃ馬ならし」って何だろうと不思議に思っていました。読書家の父の影響で本が好きになったのかもしれません。

 父は昔の人なので、小学生のときは毎朝、学校へ行く前に素読(そどく)をやらされていました。「孝経(こうきょう)」(中国の経書のひとつ)や「四書五経」(儒教の教典)ですね。意味は分からないけど、繰り返し読まされたので今もよく覚えて、すらすら言えます。

 戦火が激しくなり、中学1年で秋田の角館(かくのだて)に疎開しました。授業はあまりなくて田植えや草むしり、稲の刈り取りなど農作業ばかりです。初めての体験で面白かった。終戦後、東京に戻ると「おまえは英語ができないな」といきなり、おやじに怒られました。占領期でしたから、これからは英語が必要だと考えたのでしょうね。旧制一高に入り、ドイツ語や英語を必死でやりました。

 美術に興味を持ったきっかけですか? 家に平凡社の「世界美術全集」があり、しばしば見ていました。ドラクロワ(フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家)の絵などが劇的で印象的でしたね。西洋美術に魅了されていきました。

 東大入学後、「巴里祭」などフランス映画が好きでフランスの研究をしていました。特に美術の授業が面白く、大学院で西洋美術史を研究することにしました。徐々にフランスに行きたい気持ちが募ってきたのですが、遠いし金もかかるので簡単には行けない。それで試験を受け給費生として留学したわけです。留学先のパリ大学付属美術研究所はソルボンヌ地区にありました。リュクサンブール公園の脇のれんがの建物で、美術史の授業を受けました。

 〈1954(昭和29)年からフランス政府給費生として留学し5年間、近代美術史を学んだ〉

 最初は、留学生を受け入れるパリ国際大学都市日本館(パリ南端の第14区)に住んでいました。でも1年たって、新しい人が入ってくると古株になってしまうので下宿するのです。借りたのは未亡人宅の一部屋。台所でコーヒーをいれ、朝はパンを買って食べていました。街の中にもいくつか学生食堂があり、大学の食事券が使えました。安いから毎日食べていましたが、一応フランス料理だから夜ならスープ、メインディッシュに肉か魚、デザートまでありました。当時の日本からすると大変なことです。日本では食糧が十分でなかった時代に毎日、ビフテキを食べるようなものですから複雑な気持ちでした。

 日本への郷愁もあったのでしょうか。日本美術に目覚めたのはフランス留学中です。

 日本に帰る前年の1958(昭和33)年、日本の古美術展が欧州を巡回し、パリの美術館でも開催されました。雪舟の「秋冬山水図」と「天橋立図」、長谷川等伯(とうはく)の「松林図」、光琳の「風神雷神図」など非常にぜいたくな内容です。異国にいて、日本美術のすばらしさを実感し、それからは日本美術の研究も始めました。(聞き手 渋沢和彦)