【話の肖像画】映画監督ヤン・ヨンヒ(5) 嫌いだった母が明かした真実 - 産経ニュース

【話の肖像画】映画監督ヤン・ヨンヒ(5) 嫌いだった母が明かした真実

ヤン・ヨンヒさん(斎藤良雄撮影)
 〈2005年に韓国の釜山国際映画祭で初上映されたドキュメンタリー「ディア・ピョンヤン」は評判を呼び、世界三大映画祭のひとつ、ベルリン国際映画祭にも招かれた。2作目以降も世界各地の映画祭で大きな反響を残す〉
 「ディア~」の反応は面白かった。作品に登場した私の父親について、キューバ人もロシア人も肌が白い人も黒い人もみんな、口をそろえて「私の父ちゃんそっくりだ」と言ってくるんです。「うちも『同じ国出身の人間と結婚しろ』とうるさいんだ」とか。発表前はこんな極東の、「民団・総連」だの「帰国事業」だの、込み入った事情の家族の話を理解してもらえるのかな、と不安でした。でも、具体的な歴史を知らなくても、どこかで共感できる部分があり、観客は泣いたり笑ったりする。「普遍」というものを体で感じました。
 兄の娘を題材にした2作目「愛しきソナ」の上映で、印象に残っている言葉があります。「ありがとう、あなたのおかげで、ノースコリアに知り合いができた」。ドイツ人の観客でした。「金正日(キム・ジョンイル)のニュースを見るたびに、これからはソナのことを思い出す。知り合いがいるところには、平和であってほしいと思うんだ」
 ドキュメンタリー監督は「お見合いおばさん」みたいなものかもしれません。決して交わるはずのなかった、うちの父ちゃんやめいっ子と海外の人を引き合わせるのだから。
 〈現在、母親の人生に焦点を当てたドキュメンタリーの制作を進めている。1948年、韓国・済州島で住民3万人が虐殺されたともいわれる「4・3事件」。当時18歳だった母親が、被害の中心地から逃亡して日本に渡ってきた事実を明らかにしたのは10年ほど前のことだった〉
 何げない会話で、4・3事件の話題になったときです。「当時の婚約者と家族が皆、殺されてしまった」。初めて聞く母の話にぶっ飛びました。小さい妹をおぶり、弟の手を引いて30キロの夜道を歩き、密航船で広島に着いて九死に一生を得たそうです。
 私はお父ちゃん子で、実は母のことは苦手、嫌いでした。他人を外見で判断するし、北朝鮮のやることは「何でも正しい」。逆に韓国のことは必要以上にけなす。すごくかたくなな人です。でも70年前の話を聞いて、そりゃあかたくなにもなるわな、と納得がいきました。ドキュメンタリーをやっていると、「物事には理由がある」ということがよく分かる。共感はしないけれど、少しずつ母を受け入れることができるようになりました。
 〈1つの家族を翻弄し続けた朝鮮半島情勢は、新たな局面を迎えた。史上初の米朝首脳会談が実現し、融和ムードが高まっている〉
 南北が歩み寄り、北の家族と自由に連絡がとれるようになるって、ある意味では怖いところもあるんです。経済面の援助はどうするのか。ノスタルジーにばかり浸ってはいられません。
 ただ、やはり大きな権力に影響され、個人が自分の意に反して家族に会えない、故郷に行けないのは間違っていると思う。あまりにも多くの人が、家族の安否も分からないまま死んでいく状態を終わらせなければいけません。一喜一憂せず、でも小さな期待を持って見守っています。(聞き手 時吉達也)=次回は大原美術館館長の高階秀爾さん