【話の肖像画】自民党副総裁・高村正彦(3) ペルー事件、カストロ氏に直談判 - 産経ニュース

【話の肖像画】自民党副総裁・高村正彦(3) ペルー事件、カストロ氏に直談判

高村正彦氏(萩原悠久人撮影)
 〈昭和55年、父の高村坂彦元衆院議員の引退に伴い、衆院旧山口2区から出馬し、初当選した〉
 日米開戦の回避に動いた父の話をいろいろ聞いていただけに、政治家になったら外交・安全保障をやりたいと思っていました。私は経済と防衛から入りました。
 〈平成8年12月に在ペルー日本大使公邸人質事件が発生。外務政務次官として解決に取り組んだ〉
 日本が重視したのは平和解決。私は外務省のオペレーションルームに大みそかも正月も含めて毎日通い、ペルーや周辺国からの情報と向き合いました。
 ただ、テロリストの要求は仲間の釈放で、ペルーのフジモリ大統領がのむはずもない。私は事件直後から「テロリストのリーダーのセルパが英雄視するキューバのカストロ議長に説得してもらうしかない」と考えるようになります。
 あるとき、在ワシントン日本大使館の藤崎一郎公使が、米国務省から「公邸近くの民家にダンプカーが入っていき、翌朝タイヤをへこませて出ていく」との情報をつかんできました。ペルー政府は、「平和解決を目指す」と言いながら、突入作戦も想定してトンネルを掘っていたのです。日本への説明は一切ありません。私は厳重な箝口(かんこう)令を敷きました。
 3月に入ると、フジモリ氏がテロリストの亡命先確保を目的に、キューバを訪れました。この動きをみて、私もペルーとキューバ、ドミニカ共和国に飛びました。私はカストロ氏に仲介を頼むつもりでしたが、マスコミには「亡命先を確保するため」と説明し、真の目的は伏せました。フジモリ氏からは「亡命先だけでなく、カストロに電話での説得を頼んだが断られた」という驚きの事実も聞きました。
 キューバでは、私もカストロ氏に電話でセルパを説得するよう頼んだのですが、カストロ氏は「電話は世界中に聞かれる」と断りました。「どんな手段でもいいので説得してほしい」と言いましたが「仲介はやらない。話し合いがついたら彼らを引き受ける」というのが限界でした。会談を終え、私はハバナの在キューバ日本大使公邸に引き揚げました。すると、大使が急に「公邸の夕食会にカストロ氏が来るかもしれない」というのです。実際、午後8時ごろにやってきました。私は交渉は終わったので、楽しくご飯を食べようと考えました。カストロ氏は「フランス共産党の委員長が夏のバカンスにいいワインを持ってくるんだ」などと話し、私は「キューバの野球選手を日本のプロ野球に送れば両国の友好に役立つ」なんて勝手なことを言いました。
 午前0時を少し回った頃、カストロ氏がすくっと立ち上がり「これから仕事がある」と言って帰りました。後から聞いた話ですが、カストロ氏は帰宅後、セルパに説得の手紙を書いたそうです。非常にくだけたスペイン語で「お前たち、十分頑張ったじゃないか。これ以上頑張ってもフジモリが譲るとは思えない。キューバは良い所だ。来い」と。
 この手紙はペルー軍が突入した後、現場で発見されました。少し複雑な気持ちでした。セルパらは手紙で「カストロが乗りだしたからもう突入はない」と甘くみて、公邸1階でサッカーのまねごとを始めたからです。その隙にペルー軍が急襲しました。カストロ氏にすれば決して良い思い出ではないでしょうが、結果として日本人の人質は全員救出され、私は恩義を感じています。(聞き手 水内茂幸)