【話の肖像画】自民党副総裁・高村正彦(2) 父の教え「外交の失敗は一国亡ぼす」 - 産経ニュース

【話の肖像画】自民党副総裁・高村正彦(2) 父の教え「外交の失敗は一国亡ぼす」

高村正彦氏(萩原悠久人撮影)
 〈内務省の役人だった高村坂彦氏の四男として生まれた〉
 私の父は、昭和15、16両年の第2次・第3次近衛文麿内閣で首相秘書官を務めました。父は日米戦争の開戦に反対し、戦争突入後も軍の物資を調達する内務省国土局総務課長として戦争遂行能力が皆無と判断し、当時の安藤紀三郎内相に戦争中止を求める上申書を出しました。「現実的」な平和主義者だった。私が小学生の頃には、父から何度も「内政の失敗は一内閣が倒れれば足りるが、外交の失敗は一国を亡(ほろ)ぼす」という言葉を聞かされました。私の頭のど真ん中に入りました。
 〈小学生時代は相撲に熱中した〉
 私は3月15日生まれで、小学校に入学したときは体が一番小さかった。ただ、体を動かすことは好きで、野球や相撲を楽しんでいました。小学5年生で左目を大けがし、距離感がつかめないようになりました。野球はこれまでしたことのない空振りが目立つようになりましたが、相撲には影響がなかった。
 しかし、小さい体では相撲取りになれっこない。「相撲評論家」になると決心し、文房具店で大学ノートを買い、相撲に関する新聞のスクラップを始めました。これは一日で終わったのですが、当時は元横綱・栃錦の大ファンで、彼が関脇時代に初優勝したときはラジオで生中継を聞いていました。平成25年に横綱審議委員となり、図らずも小学生時代の夢がかないました。
 〈中央大時代は少林寺拳法に熱中し、23歳で司法試験に合格。昭和43年に弁護士登録した〉
 大学時代、校内を校則破りのげた履きで歩いていたら、怖い上級生から「少林寺拳法部に入れ」と引っ張られました。生意気にみえたのでしょう。ただ、やってみると面白かったですね。3年生のときに二段を取り、司法試験に向け、大学の研究室に入ったのは人より遅めの4年の秋です。
 弁護士は天職だと思いました。先輩弁護士の事務所に居候する「イソ弁」を3年務めた後、自ら事務所を構え、10年を過ごしました。数学者の兄(高村幸男氏)は「紙と鉛筆がなくても数学が考えられるのがプロ」と語りましたが、弁護士の仕事は具体的な事件を扱うので、私は紙と鉛筆と本がないところでも仕事ができると感じました。「依頼者のために」という気持ちは人一倍強かった。机に向かう時間は多くなかったが、歩きながらでも考えをめぐらす。個々の事件が依頼者の運命を左右するので、嫌でも物事を考えます。受け持った事件で1審で敗訴したのは1件。これも2審でひっくり返しました。負けが確実に分かれば和解に持ち込むし、勝ちが確実に分かっても、時間を買うことが依頼者の利益だと思えば和解を選ぶこともあります。
 刑事被告人からの弁護依頼も少なくなかった。ある警察署の留置係が私を推薦するんですよ。きっかけは、覚醒剤事件の裁判でした。被告人は事前に犯行を打ち明け、しかも初犯なので、執行猶予確実と考えました。でも法廷に出ると、被告人は誰もが分かるデタラメを話し始めた。窮余の策で裁判長に「被告人は傍聴人の誰かを恐れている可能性があるので、傍聴禁止にしてほしい」と頼み、裁判官が認めてくれました。この様子を見た留置係が、留置人から私選弁護人について相談を受けると、私を推薦してくれたそうです。(聞き手 水内茂幸)