政治評論家・屋山太郎(2) 札幌開催の打電で「電話買収」

話の肖像画
屋山太郎さん(酒巻俊介撮影)

 〈転機は農林省担当の記者時代に訪れた。後に時事通信の外信部長や編集局次長を務めた外交評論家、田久保忠衛杏林大名誉教授と出会ったのだ〉

 田久保さんは配属された農林省クラブのキャップだった。年齢こそ下だが、入社年次は3年上。僕が記者クラブで他社や役人と麻雀(マージャン)をしていたら、「太郎ちゃん。麻雀していたってネタは降ってこないよ」と忠告された。まったくその通りで、特ダネの2、3本とらなきゃ外国に行く望みもかなわない。そこで田久保さんに「農林省で今、特ダネって何ですか」と尋ねたんだ。担当記者がそんな質問をするなんて驚きだろ。だけど田久保さんは「決まってるじゃねえか、農業基本法だろ」と教えてくれた。

 〈昭和36年に施行され、農業の憲法といわれた農業基本法。平成11年まで農政の根幹をなした〉

 毎日、農林省の金融課に通い始めた。空き机に陣取って農政の専門書を借りて読んだりしていると、ある日、課長が書類を持って戻ってきた。はあん、省議があって基本法の原案が主要幹部に示されたとピンときた。「基本法ですね」と声をかけたら、課長はニヤリとして「持ってっちゃダメだよ」と書類を置いて食事に出ちゃった。見るのはかまわないというサインだね。必死で書き写した。午前10時から午後2時ごろまでかかったな。

 〈ニュースをかぎつける嗅覚もあるが、熱意も伝わっていたのだろう〉

 そりゃあ、この特ダネが取れたら僕の人生は変わるんだと刷り込まれてたからね。ところが原案の内容が理解できない。田久保さんに書き写したものを渡したら「こんな汚い字は読めねえな」。だけど「よし、オレがリード(記事の主要部分をまとめた前書き)を書いてやる。お前は本社に上がって全文をタイプで清書してもらえ」と言うんで、10人のタイピストと大騒動で打ち込んだ。終わったときには、特ダネ原稿のリードどころか本文や解説まで田久保さんが電話で送ってきていたんだよ。「今後の日本の農政は根本的に変わる」といった感じでね。僕がやったことといえば、かっぱらいみたいなことだけだ。大いに反省し、それからは財政や農政、地方自治など内政の専門書を次々に読んだ。知識がなかったから砂地に水がしみこむような心境だった。

 〈農業基本法案のスクープで局長賞を取り、その後も大きな特ダネを取って社長賞も獲得した〉

 受賞のとき社長に「何をしたいか」と聞かれ、すかさず「海外に行きたい一心でこの会社に来ました」と言ったら「よし、出してやる」と。後日、人事部から電話があって「志望の仏語圏の支局に空きはない。ついては新設のローマはどうだ、仏語もイタリア語も同じようなものだろう」と言ってきた。人事というのは本当にいいかげんだったんだねえ。

 〈ローマには昭和40年に赴任。47年の冬季五輪開催地を決定する、41年のIOC(国際オリンピック委員会)総会に備えた措置だった〉

 会場のホテルには各国から400人の記者が詰めかけたが、電話はたった5台。支配人に「1台、売ってくれ」と掛け合い、むき出しの百ドル札20枚を机に並べたらOK。電話ボックスに「故障中」の札を下げた。札幌決定が分かると、「札幌当選」と3回叫んで世界で最も早く一報を吹き込んだ。NHKはもちろん、地の利のある仏大手通信社のAFPよりも9分早かった。(聞き手 佐々木美恵)