【話の肖像画】アーティスト・野老朝雄(3)五輪エンブレム決定2日後に母が危篤… - 産経ニュース

【話の肖像画】アーティスト・野老朝雄(3)五輪エンブレム決定2日後に母が危篤…

2020年東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムに野老朝雄さんの「組市松紋」が選ばれた=平成28年4月25日(春名中撮影)
 〈建築家の父、インテリアデザイナーの母のもと、東京都新宿区で生まれ育った〉
 子供の頃は建設現場に行くのがすごく好きでした。資材置き場で遊んだりしていましたが、今から考えるとシンナー臭くてホコリだらけの場所。ボルトとか重いものが気になっておもちゃ代わりにしていると、職人さんに「坊主、気を付けろよ」と注意されたりした。ヘルメットに父の設計事務所のロゴが入ってるのが誇らしくてね。
 漫画「ドラえもん」で描かれたように、当時、空き地には土管が普通に放置されていました。超高層ビルもいよいよ建設といったところで、東京中が現場みたいなものでした。どんどん新しい建物、景観が立ち上がっていくのを見て、単純にすごいなあとワクワクした。今思えばスクラップ&ビルドで、古き良き街並みまで壊されてたのかもしれないけれど、それは後で気付くことです。
 親に展覧会に連れて行ってもらったり、自宅にあった建築誌を夢中で読んだり、文化的には恵まれていたと思います。学生時代は友達に誘われて、バンド活動でベースを弾いたりしたこともありましたよ。でも物心ついたときから、将来は建築家になろうと思っていました。子供の頃から鈴木恂(まこと)さんの建築などが好きでしたし、僕らの世代で安藤忠雄さんに影響を受けてない人はいないんじゃないですか。
 ただ、大学は建築専攻に進んだものの、自分の望んだ環境ではなかった。ちょうどバブル期で、アルバイトとして建築設計事務所に出入りしながら、模型制作の技術などを習得した感じです。
 〈その後、英国の建築学校AAスクールに一時在籍するも、そこで教えていた建築家で美術家、江頭慎さんに心酔して師事。制作助手などを務めた〉
 日本ではバブル崩壊が始まっていて、家の経済事情も考えると学校には長くいられないと考えた。一分一秒でももったいないと、学校をやめて個人的に江頭さんに師事することにしたんです。
 もともと本で江頭さんの作品を知り、AAスクールへの留学を決意しました。本を読み、「なんだこりゃー」と衝撃を受けた。全然建つ気配のない建築とは言い難い構造物が、RIBA(英国建築家協会)に表彰され高い評価を受けていた。自分の価値観が揺さぶられ、興奮したのを記憶しています。
 帰国後も江頭さんが行うワークショップのアシスタントとして手伝わせてもらいました。彼の哲学、圧倒的なセンスにはいつも度肝を抜かれる。自分も狭義の建築家に収まらない、幅広い表現を求め、結果的に「建てない」方向に進んでいた。親はがっかりしたと思います。ただ不思議に後悔はなかった。
 実は平成28年4月末、東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムが決まった2日後、寝たきりの母が危篤だと連絡を受けました。「おめでとう」と祝福され、取材なども殺到する中、内心、携帯電話が鳴るたびにビクビクしていました。
 2カ月後に母は亡くなりました。僕の作品が選ばれたというニュースまで生きていてくれたのがせめてもの救いです。全然いい息子じゃなかった。設計事務所を営む家に生まれたにもかかわらず、親が期待する建築の仕事に携わることはなかった。でも、それに釣り合うことを自分はやってるんだと、一生かけて証明するしかないと思っています。(聞き手 黒沢綾子)