元サッカー日本代表・釜本邦茂(4)メキシコ五輪「メダルなんて思っていなかったです」

話の肖像画
元サッカー日本代表・釜本邦茂氏(薩摩嘉克撮影)

 〈早稲田大卒業後、昭和42年に関西地区に本拠を置くヤンマーディーゼルに入社。日本リーグ通算251試合に出場し202得点を記録。得点王を7度獲得した〉

 実は、三菱重工に入社することが9割方決まっていたのですが、ある日先輩から「今から大阪へ行くからお前も来い」と突然、ヤンマーに連れて行かれました。関係者に「何も、東京に就職することないやないか」「強くしたいから力を貸してほしい」と説得されて。ヤンマーは当時、日本サッカーリーグで下位の弱いチームだった。でも、そこまで言われたら、男冥利(みょうり)に尽きますわな。

 当時の日本リーグは、観客が少なかったね。今のJリーグで言うと、3部(J3)の観客数ぐらいかな。それでもヤンマーは、ほかのチームよりは多かった。入社する際に記者から「優勝するまで何年かかるか」と聞かれ、「5年」と答えた記憶がある。実際に、リーグ優勝を達成するまでに5年かかりました。

 〈リーグで活躍し、日本代表でもエースに成長。43年にはメキシコ五輪予選を勝ち抜いて本大会に出場した。日本に銅メダルをもたらし、7得点を挙げて得点王にも輝いている〉

 ヤンマーでも自分が点を取らないと勝てなかったから、どうすれば点を取れるかばかりを必死で考えていた。皆には「オレのところにパスを出せ」「自分がやったるから」と言っていた。

 メキシコ五輪の年、単身で西ドイツのクラブチームに短期留学しました。冬だったので外でさほど練習はできなかったけど、チームに8ミリフィルム映像が資料としてそろっていた。毎日毎日、1時間以上フィルム映像を見て研究しました。目に留まったのが、ワールドカップ(W杯)得点王のエウゼビオ(ポルトガル)。「ハーフウエーラインではどういう動きをするのか」「ボールを持っていないときどんな動きをするのか」を徹底して追った。そして、まねしましたね。

 メキシコ五輪では、とにかく調子が良かった。今考えても、どこも悪いところがなかった。メキシコシティーは高地だから酸素が薄い。慣れるまでしんどいが、慣れたら別に問題なかった。

 大会前は、メダルなんて思っていなかったですよ。「ベスト8ぐらいかな」と。マスコミの予想もそうだったし、自分たちもそう思っていた。

 メダルを意識し出したのは、準々決勝のフランス戦に3-1で勝ったあたりからですよ。「金メダルも取れるんじゃないか」と思うようになった。でも、優勝したハンガリーは、ちょっと別格の強さだったね。準決勝ではハンガリーに0-5で負け、銅メダルが懸かった3位決定戦では地元メキシコと対戦した。メキシコは「日本なら楽勝」と油断していたと思うな。

 実際、攻められっ放しで、こちらからは2回ぐらいしか攻めていってないもの。自分が2点を取ったんだけど、よく守ったよね。PKをGKの横山(謙三)さんが止めていなかったら、負けていたでしょうね。

 相手が地元メキシコとあって、競技場には観衆が10万人以上集まった。あんな雰囲気の中で戦ったのは初めてでした。W杯のような雰囲気だったね。(聞き手 江目智則)