【話の肖像画】元サッカー日本代表・釜本邦茂(2) 五輪や外国に行けるとサッカーへ - 産経ニュース

【話の肖像画】元サッカー日本代表・釜本邦茂(2) 五輪や外国に行けるとサッカーへ

元サッカー日本代表・釜本邦茂氏(薩摩嘉克撮影)
 〈サッカーを本格的に始めたのは小学校の先生に誘われたのがきっかけだった〉
 子供の頃、スポーツは何でもやりました。子供たちの間で人気があったのはプロ野球や大相撲。自宅が京都市で、太秦(うずまさ)にある撮影所(東映京都撮影所)の近くだったから、撮影所にもぐり込んではチャンバラごっこもやった。
 特別、サッカーが好きというわけではなかったですね。中学では野球部に入り、甲子園に行き、プロになる。長屋暮らしだったので、契約金で大きな家を建てるのが夢だったね。
 小学5年の時だったと思いますが、先生から「野球はプロになるのは難しいし、せいぜい甲子園まで。サッカーなら外国へも行けるし、オリンピックにも出られる。いいぞ」とサッカー部に誘われました。3歳上の姉からも「海外に行ける」と勧められ、その気になりました。
 蜂ケ岡中は京都府レベルではサッカーが強い学校でしたね。1年のころはボール拾いとランニングの毎日。当時、ボールは貴重だったから、蹴らせてもらえなかった。ボールの代わりに石を使って、自分でどうすれば真っすぐ蹴ることができるか、工夫しながら練習しました。
 進学した山城高も、高校選手権で優勝するほどの強豪だったけど、1年からレギュラーで出してもらえました。国体で優勝したり、選手権で準優勝したりするうちに、自分がFWとして全国で何番目ぐらいのレベルというのが分かってくる。1年でユース代表に選ばれたりして、昭和39年に東京で開催される五輪に出たいという意識が出てきたのもこのころでした。
 〈高校時代には大きな出会いもあった。西ドイツ出身で、「日本サッカーの父」といわれるデットマール・クラマーさんだ。西京極競技場(京都市)で開かれた講習会で指導を受けた〉
 社会人、大学生が対象だったのに、高校生だった自分も特別に呼ばれた。「どうせ、ボール運びや球拾いで呼ばれたんだろう」と思ってグラウンドの端っこにいたら、クラマーさんから「何している。サッカーやらなきゃ」と言われた。
 そこで、ボールの蹴り方や止め方、ヘディングの仕方まで基本を徹底して教わった。当時、そこまで系統的に教えてもらうことはなかった。当時のサッカーは「蹴って、走れ」「点を取ってこい」という“指導”だったので。びっくりしたし、非常に大きな経験だった。クラマーさんにはその後、日本代表でずっとお世話になりました。
 〈早稲田大へ進学し、天皇杯で社会人のチームを破り2度も優勝。関東大学リーグでは4年連続得点王に輝く〉
 早稲田を選んだのは東京五輪を意識したから。父親に進学先を告げると、「何しに、東京へ行くんや」と反対された。「東京には強い学校がいっぱいあって、そこでやりたい」と説得しました。
 大学の同期生には(後に日本代表となる)森孝慈らがいたりして、高校時代とは違ったレベルだった。ヘディングシュートに力を入れ始めたのもこのころです。東京五輪の日本代表に選ばれたのが大学在学中の20歳のとき。最年少で選ばれた。幸運だったし、早稲田を選んだのも正解でした。(聞き手 江目智則)