ノンフィクション作家・沖藤典子(2) 夫の改姓が負い目に

話の肖像画
沖藤典子さん(寺河内美奈撮影)

 〈昭和13年、北海道室蘭市で生まれた。父は国鉄職員で、7歳で池田町の国鉄官舎に落ち着いた。しかし、父が結核で倒れる〉

 小学5年のときでした。療養所に入ったりして離ればなれの生活でした。だからか、「父に愛されたい」との思いが強く、それは一生続きました。父の療養中、母は闇米の商売までして私と、父の連れ子である姉を育て、かわいがってくれました。

 高校1年で父が復職し、一安心と思っていたら、高校2年で母が脳内出血を発症、その後11年の闘病生活に入りました。姉も障害があり、家族で健康なのは私だけ。「私が頑張らなくては」「勉強して仕事に就いて、貧乏から抜け出さなくては」と思っていました。北海道大学に進学、学年にほとんど女子はいません。心理学を学んで家庭裁判所の調査官といった国家公務員を目指しました。

 〈安定した生活と親孝行を目標にしていた学生時代、運命は思わぬ方向に向かう。大学2年で結婚したのだ〉

 相手は同じ国鉄官舎に住んでいた人で、病気や障害といったうちの事情もすべて分かっていました。そして言ってくれたのです。「沖藤の姓を名乗ってもいい」

 うちは男の子がおらず、父親は正月など節目、節目に「俺は長男なのに沖藤の姓がなくなってしまうなあ」と嘆いていました。沖藤にしろと強制されたわけではありませんでしたが、それを見ていた私は父が大好きでしたから「沖藤の姓を残さなくては」と思っていました。そこに「沖藤を名乗ってもいい」という話です。

 夫の北大大学院の学費をうちで払うことになったり、と夫にも利点があったのでしょう(笑)。それで結婚することにしたのです。

 民法750条では、夫婦は夫または妻の氏を称するとなっています。どちらの姓でもいいので、うちでは妻の姓にしただけです。私の両親と夫が養子縁組をしたわけではありません。

 ところが結婚披露宴の当日、酔った夫の恩師が家族の控室に乗り込んできて、こう怒鳴ったのです。

 「それでも男か、長男のくせに養子に行くとは何ごとか」

 夫は泣き、私も父も、みんな泣きました。夫が改姓したことは、結婚生活にずっと暗い影を落としました。私はことあるごとに「夫に改姓してもらったのだから」と負い目に感じるようになったのです。

 終戦で、法律が新しくなりました。男性が妻の姓にするケースもどんどん出てくると思っていました。よもや、今の時代でも妻の姓にしているケースが4%しかないなんて。

 夫はその後の会社員生活でも、妻の姓にしたことでいろいろ言われたようです。結婚するとき、私はそんな事態はまったく想像していませんでした。

 〈大学4年で長女を出産。両親は札幌市内に同居する家を用意した。自身も北海道で親と暮らしながら働き、子育てする生活を思い描いていた〉

 夫が大学院を修了すると、東京の会社に就職を決めてきたのです。ずっと親孝行を考えてきた私は驚き、夫を責めました。

 でも、私には夫に負い目がありました。「改姓してくれたのだから…」。こうして、泣く泣く上京しました。(聞き手 小川記代子)