【話の肖像画】ノンフィクション作家・沖藤典子(1) 「女が職場を去る日」はいま - 産経ニュース

【話の肖像画】ノンフィクション作家・沖藤典子(1) 「女が職場を去る日」はいま

沖藤典子さん (寺河内美奈撮影)
 〈仕事と子育て、介護の果てに夫の転勤で退職を余儀なくされた自身の体験を赤裸々に描き、ドラマにもなった「女が職場を去る日」が世を騒がせたのは昭和54年だった。40年近くたった現在読んでみても、その内容は昨日書かれたかのようだ〉
 ビジネス文書しか書いたことがなかったのに、会社を辞めた後、20日間で400枚を書き上げました。発表のあてもなかったけど、書くことで気持ちを整理したかった。そうですね、女性の状況は変わっていないともいえますね。「こんな時代もあったのね」と笑い話になればよかったのですけどね。
 変わったこともありますよ。街中でお子さんを抱っこしているお父さんを目にすることが増えました。当時の父親の多くは、赤ちゃんを抱っこするなんて恥と思っていました。男だって料理ができてこそ一人前という考えも広がっています。
 バリバリ働く女性が増え、そのような働き方をサポートする法律も整いました。でも、根本のところは変わっていない。やっぱり「女性は男性の理解があって働ける」となる。なぜ働くことに、男性の理解が必要なのですか。それに理解ではなく協力が必要なんです。口ではいくらでも言えますからね。
 今もセクハラ、パワハラが話題になっています。私たちのころもありました。勉強はできても、女性に対する考えは昔のままです。革新的なことを訴える政治家も女性観は保守的だ、と政治に詳しい知人が言っていました。
 〈父の介護体験から「今後、介護が大きな問題になる」と直感。この問題を真っ正面から扱った「銀の園 ちちははの群像」を57年に出した。働く女性、介護と、今も続く社会問題をいち早く提起してきた〉
 36歳から37歳まで、夫が単身赴任するなか、管理職としてフルタイムで働き、2人の子を育て、実父の介護をしました。あんなに頑張った1年は人生の中でありません。ただ、介護の諸問題にも直面しました。「これでは安心して年をとれない」という思いが2作目として介護を取り上げた理由です。
 介護は約40年でずいぶん変わりました。介護保険(平成12年に法施行)ができたことが大きかったです。当時、介護は“措置”、つまり収入が少なくないと対象になりにくかった。汚れた寝間着を着替えさせるのに近所の人に手伝ってもらったこともあります。「収入ではなく症状の重さによって介護を受けられたらいいのに」と何度思ったか分かりません。介護保険はまさに要介護度によって支援を受けられる制度。必要性を訴えてきて、少しでも寄与できて誇りに思っています。
 4年前に亡くなった夫の介護は、介護保険利用でつらくなかった。ホームヘルパーに訪問看護、デイケア、レンタルベッドなどフル活用し、いつも誰かの手がある状態でした。(聞き手 小川記代子)
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【プロフィル】沖藤典子
 おきふじ・のりこ 昭和13年、北海道生まれ。北海道大学在学中に結婚、出産。卒業後、東京で市場調査会社に就職。2児を抱えての仕事、介護、夫の単身赴任、そして退職をつづった「女が職場を去る日」が54年に出版される。大学の非常勤講師や神奈川県女性問題協議会会長、相模原市女性計画推進協議会委員などを歴任。現在、高齢社会をよくする女性の会副理事長。著書に「転勤族の妻たち」「誰が老いを看とるのか」「それでもわが家から逝きたい 在宅介護の現場より」など。