作家・古井由吉(1)又吉直樹さんは聡明でした

話の肖像画
作家の古井由吉さん(早坂洋祐撮影)

 〈芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞…と著名な文学賞を受賞し、芥川賞選考委員も長く務めた文壇の重鎮。今も現役バリバリで、毎年のように単行本を出す。今月も最新の短編「花の咲く頃には」が文芸誌「群像」6月号に掲載された〉

 書くのをやめたら、もう書けなくなるって気持ちがあるのかな。年を取ると、いろいろと過去から来るものが多いんです。この(自宅)マンションに何十年も住んでいるけれど、木造家屋で育った僕みたいな世代はいまだに慣れないところがある。周囲をがっしり固められた空間だし陰影も乏しい。

 するとふっと昔の暮らしを思い出す。古い記憶が根元から膨らむようにして話が膨らむ。この日常も変なもんだ、って感覚があるんですよ。それで30~40枚の短編を、たっぷりひと月かけて書く。座りっきりで足が弱くなっちゃまずいんで、午前と暮れ方に1時間くらいずつ外を歩くのも忘れずにね。

 〈随筆と小説のあわいを縫うようにして紡がれる深遠な作品は若い書き手をも魅了する。平成27年に「火花」で芥川賞を受けたお笑い芸人の又吉直樹さん(37)もその一人。「火花」発表の3年以上前に2人は文芸誌「新潮」誌上で対談。以降、たびたび文学論を交わしてきた〉

 又吉さんが僕の小説についてエッセーに書いていて、対談することになったんですね。事前に送られた又吉さんの著作を読んで「かなり才能あるなあ」と。対談ではね、あまり文学めいたことを話すのはどうかなと思って話を演劇へ持っていったんです。

 そしたら非常に聡明(そうめい)な受け答えをする。例えば芝居を演じるときに舞台に立つのは現実の自分であると同時に(フィクションである)作中の人物でもあるわけです。役者は作中人物の運命を知っているけれど、舞台上では知らないつもりでやらなければいけない。そういう「二重性」はお笑いも、小説を書くときも同じじゃないか、って話になった。

 話がよく通じるし、苦労していて人間知もある。ただ、「(本格的に)小説を書いたら?」とは言わなかったなあ。それは本人の運命に関わっちゃうことだから。又吉さんが発表していた掌編小説がいい、とは重ねて言いました。実際「火花」でも非常に的確な認識をさりげなく語ってますよね。

 ただね、又吉さんにとっては、お笑いとの2本立てでいくのが好ましいかもしれませんよ。お笑いの先にある俳優の道でも大成する可能性がある。両方やった方が感じることも繊細になるんじゃないかしら。いずれどちらを選ぶか、に興味はあるけど。

 若い作家には「そんなに見事な小説の出る時代じゃない」とは言っています。世間に通用する観念も多様だし、しかもそれがめまぐるしく変わる。5歳離れると話が通じなかったりするんだから。まあ、そういう心構えでいて結果的にうまくいくこともあるんです。(聞き手 海老沢類)

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 【プロフィル】古井由吉(ふるい・よしきち)

 昭和12年、東京生まれ。東京大学大学院独文学専攻修士課程修了。大学教員の傍ら、同人誌に小説を発表。46年に「杳子(ようこ)」で芥川賞。黒井千次、高井有一の各氏らとともに「内向の世代」と称される。58年に「槿(あさがお)」で谷崎潤一郎賞、62年に「中山坂」で川端康成文学賞、平成2年に「仮往生伝試文」で読売文学賞。昭和61年から19年間、芥川賞の選考委員を務めた。ほかの著書に「野川」「白髪の唄」など。