【話の肖像画】ミュージシャン・小室等(4)陽水、拓郎、泉谷と“冒険”へ - 産経ニュース

【話の肖像画】ミュージシャン・小室等(4)陽水、拓郎、泉谷と“冒険”へ

(飯田英男撮影)
 〈昭和43年に音楽ユニット「六文銭」を結成して表現の幅を広げる一方で、時代の旗手として今も走り続けるミュージシャン、井上陽水さんのデビュー時には陰の立役者にもなった〉
 陽水さんと初めて仕事でご一緒したのは、彼がアンドレ・カンドレ名義で出したデビュー曲「カンドレ・マンドレ」(44年)です。
 編曲を依頼されたのですが、僕としては、自分の世界観を望まれたと思っていました。でも、陽水さんは自分のデモテープの味を生かした演奏を期待していた。だから、収録スタジオでは陽水さんから徹底的なダメ出しがきました。彼は軽やかで甘い歌声だけど、やりたいことを実現させるときにはしぶとい人なんです。
 驚いたけれど、彼が出したい音を追求した方が面白くなると思い直した。結果的に陽水さんの“らしさ”が出せたと思います。
 〈「出発(たびだち)の歌」(46年)をヒットさせる前から、シンガー・ソングライターの吉田拓郎さんとも交流を深めてきた〉
 最初の出会いはどこかの音楽コンテストでしたが、拓郎さんの歌詞の世界観を深めるような趣のあるすてきな声質にほれ込みました。拓郎さんはこだわりは強いが、方針転換も早い人。「六文銭」の曲「出発の歌」が売れたときは私を「商業主義に身を売った」と批判したのに、いざ自分の「結婚しようよ」が売れたら、パタリと言わなくなった(笑)。
 〈50年、「フォーライフレコード」の設立に奔走。現役ミュージシャン4人らのレコード会社設立という試みは当時、大きな反響を呼んだ〉
 レコード会社に支配されず、自分たちの会社を立ち上げ、思いのままにレコーディングをしてみたいという夢を拓郎さんに話したんです。拓郎さんは所属レコード会社のドル箱だったから期待はしていませんでした。だけど「陽水さんが一緒なら、やってもいい」と言うんです。
 とはいえ、陽水さんもアルバム「氷の世界」が100万枚突破の金字塔を打ち立てており、レコード会社を離れるはずがない。ところが、陽水さんの答えも「やらないわけでもない」というものでした。
 そこで3人で東京・原宿あたりのバーで話し合ったのですが、「何かが足りない」と。議論するうちに「足りないのは“乱暴者”の要素だ」と気づき、全員一致で「泉谷しげるさんしかいない」という結論に達しました。彼は観客は罵倒するし、物事を穏便には済まさない。そんな人物がいたほうがかき回されて面白くなると思ったんです。陽水さんも「冒険がしたい」と言っていましたしね。
 〈社長を決めるときはアーティストとマネジャー4人を合わせた8人で投票が行われた〉
 全員一致で僕が社長をやることになった。その後のすべての企画も合議制で決めたので、企画はなかなか通りませんでしたよ(苦笑)。
 陽水さんも拓郎さんも、どんなに予算をかけたレコーディングでも気に入らなければ破棄してやり直す。僕もそんなこだわりこそが大事だと思っていた。でも社長の立場では、まずは売れなければいけないと思ってしまう。ミュージシャンと社長のはざまで苦しかった。結局、社長は2年で辞めました。一ミュージシャンに戻ってからは、自由に振る舞える喜びを味わっています。(聞き手 竹中文)