ミュージシャン・小室等(2)「サンタ・ルチア」で合唱部に

話の肖像画

 〈戦時下の昭和18年に東京都葛飾区で3人兄弟の三男として生まれ、ほどなく荒川区に引っ越した。父親は電気会社に勤めていたが、そこを辞め、電気工事店を始めた〉

 僕が物心ついたとき、おやじはすでに店を営んでいました。自宅の玄関先に店があり、お客さんが出入りしていたので、大人の顔色を読むのが得意な子供でしたね。

 〈家業の関係で、一般的な家庭よりは蓄音機やステレオ、テレビの導入は早かった〉

 おふくろはよく民謡などを歌っていました。やがて日本に洋楽が怒濤(どとう)のごとく入ってきて、2人の兄貴たちは洋楽にいち早く飛びついた。

 ちまたでは歌謡曲が流れていて、僕の耳には民謡や洋楽、歌謡曲などあらゆるジャンルの音楽が入ってきました。なかでも子供のときに一番好きだったのは、おやじが持ち込んできたイタリアの曲「サンタ・ルチア」。本当の歌詞なんて知らないから、おやじもおふくろも適当な歌詞で楽しそうに歌っていました。僕もそう。いいかげんな歌詞を大きな声で高らかに歌い上げるのは気持ちよかったですね。この曲が後に僕の運命を変える一曲となるんだから、面白いものです。

 〈地元の公立小学校を経て、仲の良かった6歳年上の次兄が進学した中高一貫の私立、聖学院(東京都)に入学した〉

 中学時代はラジオの音楽番組に夢中でした。ギターを弾きだしたのは中学生のとき。きっかけは次兄の友達が僕の前で弾いた「禁じられた遊び」の音色に感動したからです。何ともいえない切なさを帯びた曲調でね。ギターの音色の、素朴だけど混じりけがないところに魅了されたんです。

 その曲がどうしても自分で弾いてみたくなって、近所のギター教室に通いだしました。最初の頃は先生のギターを借りて弾いていたんですが、ついに、親に安物のギターを買ってもらえた。でも、優しい教則本で基礎から学んでいくので、なかなか「禁じられた遊び」まで到達することができない。結局、半年ほどで挫折してしまいました。

 〈聖学院の高校に進学。2年生のときに転機が訪れた〉

 たまたま、放課後に教室に残っていたときに、いつものように適当な「サンタ・ルチア」を大声で歌っていたら、それを聴いた合唱部の部長で、後に僕と音楽ユニット「六文銭」を組む小林雄二から部に勧誘されたんです。部員が集まらない合唱団だったので、声の大きい者が必要だったらしい(笑)。

 入部したら、小林部長が「これやろうぜ」と、米国の3人組フォークグループ「キングストン・トリオ」の曲を勧めてくれた。これが、今まで聴いたこともないような洗練された、格好良いコーラスなんです。心をわしづかみにされました。そのときからフォークソングに目覚め、部員3人で歌うようになった。でも、何だか物足りない。それは、ギターの音色だと気づいて、僕がほこりをかぶっていた自分のギターを持ってきて弾くことになりました。

 音楽に熱中した高校時代でした。だけど、唯一成績が人並みだったのは美術だったので、進学したのは多摩美術大学彫刻学科。ミュージシャンとしては遠回りのようですが、そこで僕にとって大きな出会いがあったのです。(聞き手 竹中文)