【平成30年史 デジタルが変えた文化(4)】デジカメ、スマホ…「民主化」で誰もがカメラマン - 産経ニュース

【平成30年史 デジタルが変えた文化(4)】デジカメ、スマホ…「民主化」で誰もがカメラマン

「野生展」の会場に展示された大森さんの作品
 2月まで2121デザインサイト(東京都港区)で開かれていた「野生展 飼いならされない感覚と思考」の一角に、写真家の大森克己が作品を展示していた。博物学者の南方熊楠を紹介する展示と対応させて壁に十数点の写真を並べた。そのうち最も大きく引き伸ばされた滝の写真など3点はスマートフォンで撮影されたものだった。
 「世の中がそうなってしまっているのだから、使わないほうが不自然。スマホもいくつか持っているカメラの一台として普通に使っている」
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 写真はデジタルか、アナログか-。そんな質問を聞かなくなってどれぐらいになるだろう。「平成14年にデジタルカメラの総出荷数がフィルムカメラを初めて上回った頃は、対立の図式が成り立っていた」。そう振り返るのは写真評論家の飯沢耕太郎だ。
 画像を電気信号に変換して記録するデジタルカメラのシェアは、元年にはゼロに近かった。市場を占めていたのは感光材料を記録媒体にするフィルムカメラ。しかし「ゼロ対100」は30年のいま、ほぼ「100対ゼロ」に。平成の写真史はフィルムからデジタルへの劇的な移行期と重なる。
 飯沢は16年に「デジグラフィ」という著書を刊行した。〈19世紀の写真発明の時期に匹敵する、あるいはそれ以上の大転換期〉と指摘して、デジタル社会の到来も見通していた。「だけど」と飯沢は苦笑する。
 「デジタル対アナログという状況なんて、あっという間になくなった。ケータイとSNSの出現で、いまやアナログはオルタナティブ(代替物)の位置づけしかない。日常的な写真体験の中ではもう普遍性を持たない」
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 デジタルカメラの高画質化と低価格化によってフィルムカメラの出荷数は急減し、20年には統計上「数値不明」となる。つまり、ほとんど生産されなくなった。
 しかし台頭したデジタルカメラの全盛期も長くは続かない。ほぼ同時に「カメラ」から「ケータイ」への移行が起きたのだ。「写メール」のブームをつくったカメラ付き携帯電話は、12年に最初の機種が販売。次第に画質の問題がクリアされていく。いま、スマートフォンの最新機種で撮った画像は、もう誰も文句をつけられない再現性を持つ。さらに、写真はプリントして保存するものではなく、ネットで一時的に共有するものという価値観の「革命」も、カメラの存在意義を揺さぶった。
 だが、不思議なことにカメラは売れ続けている。カメラ映像機器工業会(CIPA)の統計によると、総出荷数は減っても販売単価は減っていない。市場規模でいうと、50億円に満たなかったフィルム時代に比べるとまだ倍近い値をキープしている。つまり高級機種が堅調なのだ。
 CIPAは、この消費動向について、30年度の出荷見通しのなかで、「スマートフォンでは決して撮ることのできない写真表現」や「趣味、楽しみ、生きがいを突き詰めるため」の「ステップアップ需要」と解説している。
 かつてのカメラの入門機の代わりを、より身近な携帯電話が果たすようになって、「誰もが写真を撮る時代」が到来した。「写真」全体のマーケットが広がった。フィルムと印画紙を使う人間は激減したが、自在に加工され、送受信されるモニター上の画像というかたちで、「写真」をより多くの人が楽しめるようになったのは間違いない。
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 大森は、「WIRED(ワイアード)日本版」の仕事で作家のカズオ・イシグロを撮るとき、スマホを持っていった。イシグロは「iPhone(アイフォーン)で撮られるの初めてだよ」と面白がっていたという。
 アナログでもデジタルでも、印画紙でもモニター画面でも、写真の本質は変わらない、と大森は感じている。うつろう時間を定着させるという行為が、デジタル化によって誰でもできるようになったことを、写真家として歓迎したいという。
 「ある意味で極限まで民主化されて、写真の意味が問い直される、言葉のありようが問われる、いまはそういう時期。古い概念から自由になれるという考え方ができるなら、すごくいいことだと思う」 (敬称略)