【話の肖像画】野球解説者・佐々木信也(5)転機での選択、正解だった - 産経ニュース

【話の肖像画】野球解説者・佐々木信也(5)転機での選択、正解だった

佐々木信也さん(飯田英男撮影)
 〈12年間務めた「プロ野球ニュース」のメインキャスターを昭和63年3月で降板。平成13年4月からはCS放送へ移った同番組のキャスターを8年間担当した〉
 地上波のプロ野球ニュースが始まったとき、私は42歳。最低15年は続けたい。20年は楽にできると思いました。辞めたときは54歳。頭も体もまだ絶好調でしたが、「佐々木さんで何の不足もありませんが、このままでは若い人が育たない」と言われ、「その通りかもしれない」と考えました。
 プロ野球ニュースをやっていたころ、大阪のラジオ番組に出演したときに西本幸雄さんをゲストに招いた。プロ野球ニュースの解説者の一人でしたが、大毎オリオンズ(現ロッテ)の監督として5人の内野手の中から私一人を戦力外とした張本人でもある。生放送の番組の中で「今まで黙っていましたが、なぜクビを切られたのが私だったのですか」と問い詰めると、西本さんは「お前が一番食いっぱぐれがなさそうだったからや」と。
 「ごめん、ごめん」「悪かった、悪かった」と西本さんは番組で平謝り。私は「今ごろ遅いですよ。26歳でプロ野球をクビになった挫折感といったら…」と終始かみついた。ラジオを聞いていた人はおもしろかったんじゃないかな。20年以上、胸につかえていたものをここぞとばかりにはき出したので、まあまあすっきりしました。
 〈その後は高校から大学、プロを通じてのライバルでもあった大沢啓二さんが理事長を務める日本プロ野球OBクラブのプロアマ交流委員会の委員長に就任。長く断絶状態にあったプロと学生野球の“雪解け”へ尽力した〉
 きっかけの一つは、私が母校の湘南高野球部のOB会へ呼ばれて話をする予定が、直前になってキャンセルになったこと。元プロ野球選手の私との間には「壁がある」というわけで、「グラウンドでは現役の選手に話しかけないでくれ」とも頼まれた。
 私は大沢らと大阪の高野連(日本高等学校野球連盟)の事務局を訪れ、湘南高の1年先輩で甲子園の優勝メンバーでもある当時の脇村春夫会長らと3時間くらい話し合い、かなり打ち解けた。「面倒くさいからプロ・アマの壁は取っ払いましょう」と言う私に対し、脇村さんは「まだ少し早い」と慎重だったが、そこから雪解けのようなものが始まった。その後、元プロ野球選手が教員免許を取らなくても、研修を受ければ学生を指導できるよう門戸が広がったのは良かったです。
 今年は湘南高野球部OBであり、東大で活躍した宮台康平投手が日本ハムへ入団し、楽しみです。ドラフトで指名されるだけのレベルにはあると思うが、プロではすぐに勝ち星を欲しがらず、じっくり体づくりから取り組んでほしいね。
 プロ4年目で大毎をクビになったとき、頼めば入れそうな球団は2つあった。そのとき生まれて初めて、佐々木信也という野球選手を自己採点してみて、「これぐらい一生懸命やってもこの程度だったら(先は)知れているな」とバツをつけた。それでしゃべるほうの道(解説者)へ入ったのですが、仕事をしていて楽しかったし、その後の結果を見れば、あのときの選択は間違ってはいない、正解だったと思っています。(聞き手 三浦馨)
 =次回はミュージシャンの小室等さん