野球解説者・佐々木信也(4)フジテレビの誘い「待ってました」

話の肖像画
「プロ野球ニュース」のキャスター時代=昭和54年

 〈深夜の時間帯は日本テレビのワイドショー「11PM」などが主流だった昭和51年4月、フジテレビはスポーツ番組「プロ野球ニュース」で勝負を挑む。そのメインキャスターに選ばれた〉

 私はそれまでもテレビ局に「一度でいい。試合の司会(アナウンサー)と解説を1人でやらせてほしい」と頼んでいました。ラジオ番組などでしゃべりの経験を積んでおり、自動車でいえば助手席(解説者)ではなく、運転席でハンドルを握ってみたかった。だから、プロ野球ニュースの話がきたときは、もう「待ってました!」という感じでした。

 番組で試合と試合の間をつなぐのも私の大事な役割。毎日、自分の車で試合前の球場へ行き、拾い集めたネタを小出しにしました。大洋(現DeNA)の控え内野手、松岡功祐が逆転打を放つと、彼がグラウンドの出入りで必ず丁寧にお辞儀することを紹介。「普段からのそうした真摯(しんし)な態度があの殊勲打を生んだに違いない」と話し、本人に「(反響で)家の電話が鳴りやまなかった」と感謝されました。

 生放送にはミスがつきもの。キャスターにはハプニングへの対応力も求められます。ある日、番組が終わってもコマーシャルが流れず、私を映すカメラは作動したまま。たまたま西武が優勝した日だったので「ライオンズの優勝は人の輪がもたらしたのだと思います」などと話して何とか乗り切りました。

 〈53年11月には巨人入団を熱望し、この年米国留学していた江川卓投手がドラフト直前に当時の野球協約の“空白の一日”を主張し、巨人との契約を発表した「江川事件」が起きた〉

 視聴者の反響は大きかった。事件を伝えた番組終了後、フジテレビの担当部署では電話がジャンジャン鳴り、居合わせた全員で対応しました。私はキャスターとして中立の立場を取らざるを得なかった。煮え切らない態度に映ったのか「佐々木ははっきり意見をいえ」という声が多かったようです。

 何年か後に、プロ野球ニュースでその江川投手をオフ企画に起用しました。私が会員となっているゴルフ場、小金井カントリー倶楽部(東京都小平市)で番組スタッフとプレーしたとき、「江川と青木功にここでゴルフをしてもらっては」と提案したところ、スタッフは賛同してくれ、その場で支配人の了解も得ました。

 江川のゴルフは上手とはいえなかったですが、青木のキャラクターのおもしろさもあって、企画はなかなか好評でした。ところが1回目の放送終了後、長老会員たちから「あの企画はお前か」とものすごく怒られた。実は小金井カントリー倶楽部には男性は35歳以上でないとプレーできない決まりがあり、江川は当時まだ20代。それでも収録してしまったものはしようがない。その後も放送は続けました。

 解説者の取材場所は1カ所へ固まりがちですが、まだ弱かった横浜(現DeNA)の沖縄・宜野湾キャンプを訪れ、たまたま球場のバックスクリーン下から練習を観察すると、このチームにはチームリーダーがいないんだと気づいた。違った角度から眺めると見えなかったものも見えてくる。この考えには後にラジオで共演した元NHKのジャーナリスト、池上彰さんから「だから日本人も中国や韓国の立場から自分の国を見つめてみることも必要。違った日本が見えてきます」と賛同を得られ、うれしかったですね。(聞き手 三浦馨)