【話の肖像画】群馬県草津町長・黒岩信忠(2)湯畑から東京の一等地へ - 産経ニュース

【話の肖像画】群馬県草津町長・黒岩信忠(2)湯畑から東京の一等地へ

〈草津町は年間300万人が訪れる国内有数の人気温泉地として知られる。町のシンボルであり、大源泉でもある湯畑は、子供の頃から憧れだった〉
 7人きょうだいの末っ子です。実家は町のはずれにあったので、草津の「銀座」のような湯畑にすごく興味があった。ですから、25年ほど前に湯畑の一等地が売りに出たとき、迷わず貸店舗を建てました。20代のころに始めた商売が軌道に乗っていたこともあって、土地代と建物で2億円くらいの投資をしましたね。
 次は日本一の東京に進出し、一等地で商売してみたいと思った。東京そのものを勉強したくて2年間通いました。最初は切符の買い方もよく分からなかったんですよ。東京の街がどう変化していくのか興味があって、1人で百何十棟ものビルを見ました。
 自分の感性で当たりをつけたら、そこが将来発展するのか衰退するのか、交通網がどう変化していくのか見極めないといけない。絶対に変わらないと判断したのが、東京・原宿の竹下通りです。
 平成13年、竹下通りにある貸しビルを買い、15年にオープンしました。事業が大きいか小さいかは、人が評価することです。私にしてみれば、何もないところからスタートしてここまできたのだから、田舎では頑張ったほうかなと思います。
 〈昭和58年、35歳のとき草津町議選に初出馬し、トップ当選を果たした〉
 山本一太参院議員の父で、草津町出身の山本富雄さんが参院議員をしているとき、選挙があれば必ず駆けつけて、手弁当で応援していました。他の支持者からはよく「町議にでもなるつもりなのか」と聞かれましたが、そんなつもりは全くなかった。秘書でもないし、ガソリン代ももらっていなかった。本当に単なる支持者です。
政治家を目指す人は秘書として経験を重ねてきた人が多く、明確な目標を持っているのでしょう。でも、私はそんな大それたことは考えなかった。何となく政治が好きで、周囲に「あんたならできる。やれ」と背中を押されて町議選に出馬してしまった。自信はなかったんですけど、トップ当選しました。
 そして、35歳で町議になると、この町を何とかしたいという情熱がわいてきました。
 〈町議を7期務め、議員定数削減などを主導。平成22年の町長選に出馬した〉
 前町長が任期満了を迎えたとき、私は出馬する気がなかったんです。家族には、これで政治家から足を洗うと伝え、自分も商売に専念するという決意を持っていました。
 ただ草津には、昔から派閥がありました。旅館は2つの派閥に分かれ、どちらかに属していないと取引さえしてもらえないという厳しい事情があった。私が町長に就任する以前も、旅館が身売りするとか、そんな話があちこちにあった。「この窮状を何とかできるのは黒岩しかいないだろう」と、周囲が期待してくれました。
 草津町は結構、封建的なところです。歴代町長は全員、旅館関係の出身だった。それに私は中卒で、門閥もない。私みたいなのが、町長になるのは許されないと思っていた。けれど、だからこそ反発心があったんです。(聞き手 吉原実)