平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(3) 「やれないことはない」は母の影響

話の肖像画
やんちゃだった子供時代(本人提供)

 小さいときは、よく女の子に間違われました。でも、やっているのはやんちゃなことばかり。車いすをほうって川まではってゆき、魚やカニを捕ったり。車いすだってどれだけ壊したか分からないくらい。「障害があっても、できないことはない」っていうマインドは母の影響が強いかな。僕が自転車に乗りたいと言ったときも、母は「ダメだ」と言わないで、手漕(こ)ぎの自転車を探して持ってきてくれた。

 小・中・高とも普通学級に入りました。当初はなかなか認められなかったのを、母が学校や教育委員会に何度も頭を下げ、粘り強く交渉してくれたんです。普通学級への進学問題は、今もよく相談を受けますね。教育現場が「かかわり方が分からない」とか「けがをしたらどう責任を取ることになるんだ」と言うケースが多いんですが、そんなリスクは健常者だって同じでしょう。

 障害者に対する教育現場の意識は低い。車いすユーザーの子供たちを普通学級に受け入れることが、どれだけ(健常児の)「教育」になるか。体育の授業にパラスポーツを取り入れたら、「見学」じゃなくてヒーローになれるのに。

 ただ、実は身近な人間の方が障害者への「差別者」になりがちなんです。家族や医療・福祉関係者とか。できるはずがない、危険なことはさせられないって最初から思い込んでしまうんですね。

 僕は車の運転はもちろん、カヌーも漕ぐし、ダブルダッチ(2本のロープを使う縄跳び)だってやる。腕の力だけで階段の上り下りもできる。「やれない」って思ったら、その時点で終わりです。

 〈教育現場だけではない。意識の低さは、障害者用のトイレや駐車場などでも感じるという〉

 恐らく、当事者(障害者)を入れてデザインしていないんでしょう。トイレは、鏡の位置が車いすユーザーには高すぎて見えなかったり、「流す」のボタンの場所がまちまちだったり。駐車場には、健常者が止めないように、ポールなどを置いてあることが多い。すると、障害者も止められない(苦笑)。障害者自身が運転してくるという考えが最初からない。介助者が同乗していて、ポールをどけてくれるという意識なんですよ。

 日本社会のバリアフリー化はかなり進み、ハード面では米国より上だと思います。だけど入り口にスロープがあっても、中に車いす用のトイレがなかったりでちぐはぐ。リアルじゃないんですね。

 〈出身は長野県軽井沢町。平成10年の長野五輪・パラリンピックで、ホッケーやカーリング競技を見て、スポーツに魅せられた。パラアイスホッケーを始めたのは19歳のときだった〉

 競技を始めてすぐ「僕に向いている」と思いました。その前に車いすバスケットもやってみたのですが、どうもしっくりこなかった。パラアイスホッケーはどんどん滑れるようになったし、上達のスピードも速かったと思う。2、3年後には日本代表になりましたから。

 16年から18年にかけては、米国のシカゴのチームに呼ばれてプレーしました。当時、世界最高といわれた選手がいて、最高に楽しくてエキサイティングな時間でしたね。

 〈競技生活だけでなく、米社会の障害者に対する意識の高さや考え方の違いを痛感させられることになる〉(聞き手 喜多由浩)