平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(2)遠かった世界、ゼロから再起を

話の肖像画
上原大祐さん (佐藤徳昭撮影)

 〈3月、韓国で開かれた平昌パラリンピック。アイスホッケー日本代表の成績は5戦全敗、スコアも大敗が続いた。選手の平均年齢が40歳を超え「オジサン軍団」ともてはやすメディアもあったが、実際には若手が育たず、競技人口も増えない“寒い”事情があった。8年前のバンクーバー大会で銀メダルに輝いた日本代表の栄光は見る影もなかった〉

 この結果が今のわれわれの実力です。残念ながら世界との差は広がってしまいましたね。日本のスタイルは「守りに守ってワンチャンスを生かす」。たとえば初戦の韓国戦では、相手の反則で日本が2人多い数的優位に立ったときに、得点をしなければならなかった。得点できていれば相手が慌てて勝てた可能性が高い(1-4で敗戦)。8年前のバンクーバー大会の準決勝で、強豪のカナダを破ったときなどはそうした戦い方ができていたんです。

 (金メダルの)米国では10代の選手が活躍しているのに、日本は一番若い選手が29歳、僕(36歳)なんか下も下ですよ。若手の加入による下からの押し上げがないんです。日本には(パラアイスホッケーのクラブチームが)4チームしかありませんが、米国には約90チームもあり、普及と強化の両方に成功しています。普及に努めることが結果として強化につながるのですが、日本はそのイメージができなかった。最大の敗因ですね。

 〈日本での競技人口は40人に満たない〉

 競技人口が増えず、裾野が広がらない理由の一つには、練習環境の厳しさもありますね。特に東京ではリンクの確保が難しく、練習開始時間が夜中の1時、2時、終了が朝の6時、7時なんてこともザラ。そんな時間帯に少年・少女は参加できないでしょう。公的な強化費は増えていますが、企業のスポンサー確保などの面ではまだまだ…。

 ただ、氷上で練習できないのなら、ローラーブレードのスレッジ(そり)をつくって陸上でやればいい。(国内ルールでは)健常者でも、パラアイスホッケーの試合に出られるのだから、潜在的な裾野は広いはずなんです。

 僕はPR活動や体験イベント、地方への展開や大学ホッケー部との連携、特別支援学校を拠点とした普及などをどんどん進めるつもり。現状キープではなく、瀬戸際にあるという現状と課題をしっかり認識し、ゼロからつくり直すつもりでやらねば、次(4年後の北京大会)はなかなか見えてきません。

 〈最初のパラリンピック出場だった平成18年トリノ大会では日本チーム最多得点を記録、22年バンクーバー大会準決勝の大一番、カナダ戦では決勝ゴールを決めた。だが、日本はソチ(26年)の出場を逃し、自身も約3年間、競技から離れた〉

 (平昌大会に向けて)現役に復帰した理由は2つあります。1つは東京大会に向け、平昌はメディアが注目する大事な大会になるだろう、ということ。そのときにNPO(D-SHiPS32)代表としてだけではなく、選手として話した方が発信力があるし、課題を知ってもらうこともできます。

 もう1つは、26年から始めたNPO活動で、障害があるたくさんの子供たちや親御さんと知り合い、僕がプレーする姿を見たいというリクエストがあった。氷上で戦う僕を見てチャレンジする気持ちを持ってほしい、ワクワクする心を届けたい。そう思ったんです。(聞き手 喜多由浩)