【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(3)結婚で退会、普及活動に - 産経ニュース

【話の肖像画】女流棋士第1号・蛸島彰子(3)結婚で退会、普及活動に

 〈女性初で入会した奨励会ではなかなか勝てなかった〉
 7級でスタートし、1回か2回は級が上がったんですが、そうそう昇級できるものではありません。男性の奨励会員が「女の子には負けられない」と闘志を燃やして向かってくるんですから。
 ちょうどその頃、将棋連盟では女性棋士を育成しようという流れがあったので、私が負けて退会されるのが困ったのか、特例が設けられました。理事の先生が「蛸島さん、5勝5敗(指し分け)で昇級でいいですよ」と言うのです。
 通常は6連勝か9勝3敗、11勝4敗、13勝5敗、15勝6敗という厳しい条件があります。指し分けで昇級とはありがたい話ですが、それでいいのかと考え、「皆と同じ条件でお願いします。昇級できないのは仕方ないことです」とお断りしました。しかし、「何も考えずに、とにかく強くなることだけを考えて。後はこちらで何とかしますから」と諭されました。
 〈指し分けで昇級できるようになっても、奨励会では苦しんだ〉
 「6連勝して昇級した」とか「9勝3敗で昇級だ」というとその後に勢いがつきますが、私の場合は5勝5敗でも昇級。指し分けで4級に上がったと思ったら、また黒星が続いたりして。黒星の人生でしたね。
 高校生活と奨励会の二重生活の日々が続きました。高校3年のときに1級に昇級しました。卒業までに初段を目指しましたが、そんなに甘い世界ではありません。卒業までに初段にはなれませんでした。結果的に初段になったのは20歳になった年の4月。女性棋士を増やしたいという将棋連盟から初段の免状をいただきました。甘い初段ですね。
 〈将棋界初の女性初段になったが、その年に奨励会を退会した〉
 結婚を機に退会したんです。将棋を続けたい気持ちは強かったですが、当面は主婦業に専念しました。その後、子供も少し大きくなったこともあり、将棋連盟の厚意で将棋界に戻ることになりました。将棋連盟の事務のお手伝いとか、女性教室や将棋教室で、先生方の助手のような手伝いをしていました。いわばレッスンプロみたいな形で将棋にかかわっていました。
 〈当時は女流棋戦がなかった。そんな中、初の女流棋士として、アマチュアへの指導など女性棋士育成に取り組んだ〉
 初段で奨励会を退会したときは将棋にかかわって楽しくできれはいいかな、という感じでした。将棋連盟には、「一人でも多くの女性が将棋に興味を持ってくれればいい」という考えがあったと思います。その思いをお手伝いする形で、普及活動に力を入れました。
 〈NHK杯テレビトーナメントの棋譜読み上げも務めた〉
 女性教室などの仕事をしている頃、話がありました。私が唯一の「女流棋士」なので、男性より女性の方がいいだろうということだったと思います。今まで見る側だったのが、今度は参加する側。少し不安でしたが、お受けしました。当時は大山康晴十五世名人が全盛期で、加藤一二三九段の活躍も素晴らしかったです。(聞き手 田中夕介)