女流棋士第1号・蛸島彰子(2) 史上初の女性奨励会員に

話の肖像画

 〈10歳のころから将棋を始めた。父親の勧めだった〉

 父がとても将棋好きだったんです。一方で、私のそそっかしい性格を見かねた父が、将棋をやれば落ち着きが出るのでは、と教えてくれたようです。最初は6枚落ちから。ある日、東京・渋谷にある将棋道場で指したんです。道場には、大正時代から昭和時代初期に活動しておられた将棋棋士の金易二郎(こん・やすじろう)名誉九段がいらっしゃいました。日本将棋連盟会長を務められたこともある方で、道場での対局が終わった後、「将棋の筋が良いですね。日本将棋連盟に初等科というのがあるから入会しませんか」と誘われたんです。

 〈初等科はプロ棋士養成機関である奨励会の予備校のような所だ〉

 初等科に入会したときは35級で、超初心者でした。楽しみながら指していました。最初は緊張していたんですが、慣れてきたら徐々に級も上がっていきました。初心者の私が10級くらいになったんですよ。米長邦雄永世棋聖も初等科を経験されていました。実は、初等科には前から女の子が1人いました。「その子の友達にいいんじゃないか」ということも、誘われた理由だったようです。それが将棋人生の始まりでした。

 〈昭和36年に奨励会に編入。史上初の女性奨励会員が誕生した〉

 高校1年で15歳のときでした。将棋連盟の先生方が勧めてくださったので入会しました。まずは7級で。当時は今の奨励会のように年1回、試験を受けて一定の成績を取らないと入れないというのではなく、強かったら6級から、弱かったら7級からやりなよ、というふうで、師匠がいれば師匠が決めるような感じでした。当時は、将棋で生活していくことは考えていませんでした。第1の目標は将棋が強くなりたいということでした。

 〈高校の制服姿で将棋連盟に通い、男性の中で将棋を指していた〉

 奨励会員の間では、女の私に負けるというのは恥ずかしいといった風潮があったようです。結構、カモにされていたんですが、たまには私も勝ちますよね。仲間内では「蛸島さんに負けたら罰金・髪をそる」という決まりができたようです。

 53年の第36期名人戦七番勝負で、中原誠十六世名人に挑戦した森●二九段が剃髪(ていはつ)で対局に臨み、話題になりました。後で知ったことなんですが、奨励会時代に森九段が私に負けて髪をそったことがあり、それから勝ち出したそうです。負け防止のおまじないになったのでしょうか。

 〈奨励会で学びながら、通っていた高校では将棋部を作った〉

 女学校だったんですが、高校2年のとき、担任の先生に「将棋部を作っていいですか」と聞きました。先生は「女子生徒が将棋を指すかな? 15人ぐらい集まればいいですよ」。必死になってクラスメートに声をかけ、全員に入ってもらいました。

 でも、駒の動かし方を知っている人は1人か2人ぐらいで、ほとんどが将棋を知らない。私が部長になって、とにかく教えました。当時三段だった大内延介九段が何度か学校に教えに来てくださいました。男子校に行って対抗戦をしたりして、楽しんでいました。(聞き手 田中夕介)

●=ふるとりに奚