相沢病院理事長・相沢孝夫(1) 小平奈緒さん、ありがとう

話の肖像画
(酒巻俊介撮影)

 〈平昌五輪スピードスケート女子500メートルのレースを観戦した。小平奈緒の日本スピード女子初の金メダルが決まった直後、観客席で小平の父、安彦さんと手を取り合って喜んだ〉

 「ついにここまで来たな」「小平さん、こんな機会をくれてありがとう」という気持ちでした。小平さんが就職してくれて、一生懸命にトレーニングに励んで、創意工夫をしてメダルを取った。病院を経営していて、自分のところの職員が五輪に出場して金メダルを取るなんていうチャンスはほとんどないですよね。本当にありがたいことです。

 〈9年前、信州大を卒業して就職先が見つからない小平を職員として雇い入れたのが、長野県松本市の「社会医療法人財団慈泉会 相沢病院」だ〉

 小平さんを指導していた結城匡啓(まさひろ)コーチは、うちにいた整形外科医と交流があり、練習中にけがをした小平さんが相沢病院を受診し、リハビリにうちの理学療法士が関わるという事前の関係がありました。そこへ、本来ならどこかの企業に就職するのにそれがかなわないという小平さんの事情が重なり、相沢病院へという運命の流れができた。偶然の糸が絡み合ってこうなったと思うんです。

 こちらは、長野で練習をしたいという長野出身の女性が、就職できなくて長野で練習するのをあきらめなければならないのは理不尽だと思ったんです。一緒に来た結城コーチが「能力もあるし、伸びる可能性がある」と言っていましたが、そんなの僕には全然分かりませんし、こんなに活躍するとは思っていませんでした。あしながおじさんでも何でもなく、僕はひとりの女性を雇用しただけ。どのくらいの金銭負担が必要か、そのくらいなら何とかできる。ただそれだけのことです。

 〈遅咲きとされる小平だが、就職して約1年後のバンクーバー五輪の女子団体追い抜きでは、銀メダルに輝いている〉

 バンクーバーにもその次のソチにも応援に行きました。職員20人くらいと応援団を組んで。われわれの職員であるという意識を皆、持ってますから。そんなに休みが取れないので、今回の平昌は「どのレースにしようか」「500メートルは相当な確率で金メダルに手が届くんじゃないか」と500メートルに絞ってね。レース翌日にはソウルに戻って帰国しました。

 〈日本では小平の金メダルが大きく報じられていた〉

 その昔、どこかの知事(長野県の吉村午良元知事)が「ミズスマシみたい」と言ったくらい地味だったスピードスケートを、多くの皆さんに見てもらったのがうれしいです。金メダルももちろんですが、その後の小平さんの行動について「すばらしい」「感動した」と言ってもらい、本当にありがたい。僕が頬に日の丸を貼って応援していた様子も見られてしまったようですが。(聞き手 道丸摩耶)

 【プロフィル】相沢孝夫(あいざわ・たかお) 昭和22年5月25日、長野県生まれ。東京慈恵会医科大卒業、医学博士。信州大付属病院などの勤務を経て実家である相沢病院(長野県松本市)に戻り、平成6年、院長・理事長に就任した。病院は20年に社会医療法人の認定を受け、「社会医療法人財団慈泉会相沢病院」の名称に。29年6月には院長を退き、最高経営責任者になった。全国の病院が加盟する日本病院会会長や日本人間ドック学会の副理事長なども務める。