【話の肖像画】元バレーボール選手・川合俊一(4) 先を見据えた戦略練る参謀 - 産経ニュース

【話の肖像画】元バレーボール選手・川合俊一(4) 先を見据えた戦略練る参謀

ゼネラルマネージャーを務めるトヨタ自動車ビーチバレーボール部を指導
 〈バレーボール日本代表としてロサンゼルス五輪、ソウル五輪と2度の五輪に出場。バレーブームの立役者は平成2年、27歳で引退する〉
 腰や膝を痛めていました。当時のスポーツ界はけがをしても無理するのが普通。今ならけがすれば休みますし、ケアという概念もありますけどね。
 所属していた富士フイルムを退社し、長めの骨休めをしようと、米ロサンゼルスに渡りました。そこの海岸でビーチバレーボールに出合ったのです。バレーで疲れて行ったはずなのに、あまりに楽しくて朝6時に起きて通っていました。
 〈「こんなに楽しいスポーツがあるのか」とのめり込んだビーチバレーだったが、日本での普及は容易ではなかった〉
 まずコートがない。神奈川県平塚市の海岸に常設コートを作ってもらおうと、市に頼みに行ったら、「誰もやっていない」と断られました。ポールとネットを運んできてはコートを作り、終わったら撤去する方法は許可されたので設置してみました。
 海岸にいた高校生たちが「川合さんだ、何やってるの」と声をかけてきたので、「ビーチバレーをやらないか」と彼らを誘いました。彼らが楽しんでいる様子や、彼らの要望で開いた大会の写真を市に報告していたら、「常設コートの2面設置OK」になりました。
 そうしたら地元の人が練習するようになって、市もトイレやシャワー、着替え場所もある16面の常設コートを作ってくれた。訴えてから5年、平塚市には大感謝です。もともとビーチバレーの大会をやっていた鵠沼海岸(神奈川県藤沢市)も常設コートを作ってくれました。
 だけど、このスピードではコートの普及がなかなか進みません。国民体育大会(国体)の種目になれば各都道府県がコートを作るのではと考え、働きかけた結果、昨年のえひめ国体で初めて正式種目になりました、国体種目の条件の一つは、五輪種目であることなんです。現在、常設コートの設置も広がっています。
 〈一つの目標を決めたら、作戦を立てて遂行していく。かなりの戦略家だ〉
 あきらめる習慣がないんです。おやじから「お前は大将ではなく、参謀タイプだ」と言われました。僕は、あまり知られていないゲームをやらせたら、抜群にうまいですね。ルールの穴をすぐに見つけるんです。インチキではないですよ(笑)。
 実業団に入るときも、あるチームに「プロ選手にして」とお願いして内諾を得ていました。実現はしませんでしたが、実現していたらプロ選手1号でしたね。
 ビーチバレーの普及も年単位の作戦を立て、先を見越しながら実行しています。
 〈タレントとしてテレビで見ることも多い。朝の情報番組の司会も務めていた〉
 最初はビーチバレーを周知するために出演していました。朝の番組のオファーが来たときは、夜遊びができなくなるから断ったんですけど、テレビ局の偉い人も説得に来たので仕方なく…。それで6年半、やりました。番組のスタッフたちが目標に向かって頑張るじゃないですか。僕、目標があるとやってしまうんです。習慣なんですね。(聞き手 小川記代子)