作家・編集者 末井昭(3) 伝説の雑誌「写真時代」編集長

話の肖像画
初エッセイの出版記念パーティーで荒木経惟さん(右)と。34歳(本人提供)

 〈昭和51年、編集長を務める雑誌「ニューセルフ」で写真家の荒木経惟(のぶよし)さんによる撮り下ろし連載「劇写・女優たち」が始まった〉

 1万円のギャラで撮影モデルになってくれる女性を探すために劇団や新種の風俗店などあちこち出向いて、「一緒に芸術をやりましょう」と口説いてました。ヌードが前提というわけではないのですが、荒木さんに撮られているうちに大胆になったりして、女の人ってすごいなという驚きはありました。

 きわどい写真はまだ載せていなかったんですが、発禁になりました。理由は文章。自伝小説「わが闘争」がベストセラーになっていた作家、堤玲子さんにお願いした小説に、女性器の俗称がたくさん使われており、警視庁の捜査員から「○○○○が36カ所」とハッキリ告げられて。アウトでした。

 〈56年、荒木さんや森山大道さんら気鋭の写真家が多数参加する伝説の月刊写真誌「写真時代」を創刊する〉

 既成概念を解体する、規制をぶち壊す、読者をビックリさせたい、という意気込みで始めました。田原総一朗さんが創刊号を見て「面白い雑誌だ」と書いてくれたのがうれしかったですね。

 中身のヌード写真は過激になりましたが、表紙はアイドルの顔写真にして、レジに持って行きやすいように工夫しました。創刊号から完売する人気でした。「ニューセルフ」は1号あたり30万円の予算しか使えなかったのに、「写真時代」は600万円。ロケ地にもこだわり、面白い本が作れました。みんなの熱量が高くて、いかがわしくて、面白い時代でした。

 〈最高部数35万部を記録。当初、ターゲットとしていた「知識人」だけでなく、読者は男子中学生にまで広がっていた〉

 目立つようになってきたんでしょうね。息子の部屋で見つけた母親でしょうか。編集部に主婦とおぼしき女性から電話がかかってくるようになりました。「おたくの会社はどのような趣旨でこのような雑誌を出しているんですか」と問い詰められて。それまでも毎月警察に呼ばれて、ギリギリのわいせつ基準を把握していたつもりだったんです。けれど、主婦層・世間さまから存在そのものを否定されている。「写真時代」は自分の作品と思っていたので、自主規制で中途半端な本を作るくらいなら、もうやめようと思いました。

 〈そんな矢先、わいせつ図画販売容疑で捜査が入り、ついに「写真時代」も発禁に〉

 取り調べに呼ばれたのは僕ら編集部員だけでなく、紙や写植、印刷の業者、モデル、撮影場所のラブホテルのオーナーなど、延べ100人近く。影響力が大きかっただけに、見せしめ的に取り調べを受けました。一番参ったのは自分の判断ミスで、荒木さんの出頭が数週間にも及んだこと。荒木さんは根がまじめなインテリで、警視庁からの電話に、受話器を握りしめ、頭を下げていた姿が目に焼き付いています。

 自分のすべてをかけていた「写真時代」も廃刊となり、心に穴が開いて、パチンコ店に入り浸るようになりました。負けて、情けない気分で深夜にコンビニに入って、缶コーヒーを買うんですが…。そうだ! ここにパチンコ雑誌を置いたら売れるだろうと、ひらめいたんです。新雑誌の構想が降ってわいてきました。(聞き手 重松明子)