【話の肖像画】タイ警察大佐・戸島国雄(4) 妻からもらった第二の人生 - 産経ニュース

【話の肖像画】タイ警察大佐・戸島国雄(4) 妻からもらった第二の人生

(吉村英輝撮影)
 〈家庭は妻の寿子さんと2人の息子。その寿子さんを病魔が襲う。平成6年3月、白血病で亡くなった。53歳だった〉
 急に体調を崩し、自分が看護師長を務めていた病院に入院しました。部下の看護師から注射を受けながら、指導もしていました。亡くなった日の朝は元気で、私に趣味の写真撮影へ富士山に出かけるよう勧めてくれましたが、その気になりませんでした。
 仕事柄、自分の死期を知っていたのかもしれません。普段、家のことは妻に任せっきりでした。預金通帳やほかの小物と一緒に、子供たちと私への遺書も準備していました。「極楽とんぼのあなたが帰ってきて羽を休めるところで、いつも待っていたかったのに、ごめんなさいね」と、寂しい手紙が残されていました。
 最愛の妻を亡くし、気分転換しようとマイカーの4300cc日産サファリで写真撮影に出かけました。行き先は山梨県の旧上九一色村、当時、渦中で地下鉄サリン事件を起こす前のオウム真理教の教団施設でした。教団の13の建物を撮っていると、信者に車のナンバーを控えられ、千葉県の自宅まで押しかけられました。子供たちも独立し、妻も他界、家には私以外いないので、心配はしませんでした。
 〈鑑識写真係として、ヘリコプターによる航空撮影を得意とした〉
 日曜で天気も良かった7年3月19日、ヘリコプターで上九一色村まで足を延ばし、内緒で航空写真を撮りました。操縦は、御巣鷹の尾根の日航機墜落事故など、長年にわたり一緒に仕事をしてきた警視庁航空隊のベテラン警部で、息はバッチリ。下の人間の顔がよく判別できるまで低空飛行を繰り返し、教団の全施設を真上から撮影したのは760枚。ホバリングしすぎて燃料がなくなり、静岡県内のヘリポートで給油してもらいました。
 〈翌20日朝、オウム真理教が東京の地下鉄車両内で神経ガスのサリンを散布し、13人の死者と6千人超の負傷者を出す大事件が発生した〉
 事件発生から2日後の22日、警視庁は上九一色村の関連施設へ強制捜査を行いました。私も鑑識活動の検証班として家宅捜索に入りました。東京から中央高速に乗って山梨県の河口湖インターチェンジに着いたら、後続車ははるか後ろのインターチェンジという大編成でした。
 山梨県警から「以前に警視庁のヘリが旋回していたらしい」と問い合わせがあり、私が事件前日に空撮していたのがばれました。でも、その写真が捜索では役立ちました。捜索中、麻原彰晃(本名・松本智津夫)の居場所を信者に聞くと、「尊師と呼べ」と“ピーチク”言う。「お前はオウムではなくスズメの子だ」と言ったら泣いてしまいました。
 〈オウム真理教の捜索を終えた秋、国際協力隊員としてのタイ行きを上司に勧められた〉
 独り身になり沈みがちだったので心配してくれたのでしょう。妻は最後まで私に尽くしてくれたのに、定年退職後に温泉旅行に連れて行くこともできなかった。タイでの鑑識指導は、妻からもらった第二の人生です。息子たちは「おやじみたいな仕事は死んでもいやだ」と、2人とも航空自衛隊に入りました。孫にもあまり会っていませんが、1人は警察官になりました。こちらからは何も言いません。(聞き手 吉村英輝)