タイ警察大佐・戸島国雄(2) 災害現場で若手と指紋採取

話の肖像画
指紋による津波犠牲者の身元確認(本人提供)

 〈鑑識捜査指導官として平成7年にタイに渡り、10年に警視庁復職。タイ国家警察から異例の再訪要請を受け、シニアボランティアとして14年、再びタイに渡った〉

 古巣の警視庁鑑識課に戻って3年後、警部を最後に定年退職しました。警視庁から「似顔絵捜査官001号」に認定されていて、手配用の似顔絵を作成する指導官として5年間の嘱託勤務も決まりました。その数日後です。タイ国家警察から「もう一度、指導に来てくれ」との要請を受けました。上司に相談したら、「似顔絵指導官の辞令を受けたばかりで辞めるやつがいるか」と叱られました。

 だめだと言われると、どうしてもやりたい性分です。鑑識課長時代にお世話になった警視庁上層部に直談判して事情を話すと、「似顔絵はほかがいる。自分の人生だ。そういう気持ちがあるなら」と許され、その場で上司に電話してもらいました。まさに鶴の一声。鑑識部屋に戻って仲間に「またタイに行くぞ」と叫ぶと、驚かれました。

 〈タイでは警察大佐の称号が与えられた〉

 再赴任したタイ警察の要職は、昔の教え子たちばかり。こちらの唯一の条件は、「私が自由に現場に行けるように」というものでした。

 18(2006)年にバンコク近郊の空き地で見つかった変死体は、私が指紋を採取して日本人と判明しました。タイの犯罪鎮圧部特殊班による捜査が1カ月以上続き、強制捜査に踏み切ったが、11時間過ぎても証拠となる8千万円が見つからない。

 捜査官たちは疲れ切って、私も半ばあきらめ、手持ちぶさたで応接室の磨かれた床を投光器で照らしていました。警視庁鑑識課長だった光真(みつざね)章さんからいただいた強力なタイプだったので、タイルの隙間に米粒大の黒い血痕を見つけ、容疑者の自供を得ました。そのときは捜査1課長になっていた光真さんにすぐ連絡しました。

 光真さんは現在、指紋より残りやすい足紋での身元確認普及活動をしており、私もタイの鑑識捜査官らとともに、お手伝いしています。

 〈死者・行方不明者22万人以上となった16(2004)年12月26日のスマトラ島沖地震に伴う大津波では、タイ南部でも日本人28人を含む多くの犠牲者が出た〉

 発生翌日、バンコクの国家警察に「身元確認を」との要請が来ました。年末で誰も行きたがらないなか、当初は3日の予定で、車で18時間かけ、若い部下10人とアンダマン海に面したパンガー県に向かいました。彼らは見習いの警察官で、指紋採取は初めて。硬直した遺体からの指紋採取は困難で、私の判断で指を切り取って皮膚を取り、自分の指に巻き付けて採取することにしました。3カ月かけて約4千体の身元を確認し、ご遺族に返せました。タイ国民は15歳になると全員、身分証明書の所持と指紋押印が義務づけられており、確認できたのです。

 中には日本人の小学生の遺体もあり、日本の祖父母から送ってもらった、その子が学校で使った工作用粘土に残された指紋で、身元を確認しました。

 日本に一時帰国したとき、天皇、皇后両陛下に津波被害の状況を説明するため、国際協力機構理事長だった緒方貞子さんと、皇居・吹上御所へ伺いました。「お元気で」と、ねぎらいのお言葉をいただきました。(聞き手 吉村英輝)