タイ警察大佐・戸島国雄(1) 現場に臨場、手探りの鑑識指導

話の肖像画
(吉村英輝撮影)

 〈鑑識捜査一筋36年。警視庁で幾多の大事件を手がけたベテラン捜査官が、国際協力指導員としてタイに渡ったのは平成7年。当初は2年間の予定だったが、タイ政府から2度の追加要請を受け、今も現地で後進を育成している〉

 オウム真理教事件の捜査も一段落したころ、上司に海外派遣の選考に参加しろと言われました。54歳で英語も下手だし落ちると思いきや合格しちゃった。近所の子供に交ざって英語の塾に通い、気合は十分。妻の仏壇に菊を供え、タイに向かいました。

 前任者から「事件現場は危険だから臨場してはいけない。たまにセミナーを行うだけでいい」と引き継いだけど、セミナーでは英語も通じず、受講生は居眠りばかり。赴任から数カ月後、火災現場に無断で出向きました。翌日の新聞の写真に自分が写り込み、タイ警察上層部からは怒られましたが、「現場を知らなきゃ指導できません」と突っ張りました。

 やはり、同じ目線に立って向かい合わなければだめ。預金を下ろして鑑識作業に必要な材料を買い込み、個室を出て現場鑑識捜査官のいるエアコンもない大部屋に顔を出すと、最初はびっくりされました。でも、屋台料理を一緒に食べ、何度もおなかを壊すうち、仲間として迎え入れてもらえました。

 〈タイ国家警察局は首都バンコクの中心地にあり、2700人の警官が全土の25万人の警官を指揮する。唯一の日本人警察官として所属した〉

 事件現場に行くと、「葬儀団」というボランティアが警察よりも早く着いて変死体をあさって証拠品を持ち去ったり、報道関係者が死体にまたがって写真を撮っていたりメチャクチャ。遺体の検分を済ませるまで現場に入らないよう、説得を続けました。

 毎日、若手鑑識捜査官と事件現場に臨場し、写真撮影や指紋採取で一緒に汗を流しました。自分が日本で考案した、現場立ち入り規制線のテープを張るところから始め、警視庁から送ってもらったゴム手袋も導入しました。古参から文句を言われましたが実績を挙げ、タイ警察首脳から、全国の鑑識幹部に基礎を指導するよう、公式に命令を受けました。

 〈タイ語で作った初の鑑識の教科書は、タイの国会図書館にも置かれ、今も使われている〉

 若手捜査官と鑑識車に乗り込み、朝9時に出て夜8時まで現場回り。彼らの会話を車の中で聞き、その専門用語の言葉をカタカナでメモし、夜に辞書を引いて、「カートゥタイ…ああ自殺か。カターカンは殺人、カモイは泥棒」みたいに独学した。1年かけて軌道に乗せたけれど、言葉には苦労したなあ。

 残る1年で指導内容をタイ語に残そうと、日本語を勉強中のタイ人学生に翻訳を手伝ってもらい、半年ほどで文書を作りました。お礼に彼らの漫画の翻訳アルバイトを手伝った。それを知ったタイ警察首脳から正式に教科書にするよう命令され、1年間の滞在延長になりました。(聞き手 吉村英輝)

 昭和16年1月1日、山口県生まれ。35年に自衛隊に入隊し、習志野第1空挺団(24期)所属。38年に警視庁に入庁。鑑識捜査官一筋で、三島由紀夫割腹事件やオウム真理教関連事件などを担当した。警視総監賞・部長賞など107回受賞。平成6年に「都民の警察官」。7年11月から国際協力機構(JICA)の指導員としてタイ国家警察科学捜査部に。タイ側からの要請で2年の任期を1年延長。14年に再要請を受け、JICAのシニアボランティアとして再びタイに渡り、鑑識活動実務指導を続ける。