落語家・春風亭一之輔(5) 自分が「一番のお客さん」

話の肖像画
(寺河内美奈撮影)

 10年先、20年先の自分のイメージですか? あんまりないですね。(先輩で)人間として好きな人はいるけど、芸の上で「こんな噺家(はなしか)になりたい」なんて目標にしている人も思い浮かびません。僕の場合、自分にとって自分が「一番のお客さん」なんです。つまんないことやってんな俺って思いながらやっている落語こそが一番の罪ですから。

 〈6年前、21人抜きで真打ちになったときの落語協会会長は、柳家小三治(こさんじ)(78)。今は落語界唯一の人間国宝だ。その後任で現会長である柳亭(りゅうてい)市馬(いちば)(56)には、よく噺を教わった〉

 小三治師匠の言うことはちょっと難しい。「笑わせるな」とかね。(古今亭)志ん朝師匠は、いきたがっているお客さんはいかせないとダメだって。いろんな意見があっていいと思います。ただ、小三治師匠は、僕のような芸風があまり好きではないと思いますよ、たぶん(苦笑)。人間国宝? 僕はなれないでしょうけど、もし「させてやる」と言われたらなりますね、ネタになるから。市馬師匠は一時、家が近かったし、ウチの師匠(春風亭一朝(いっちょう))からも勧められて、よく稽古をつけてもらいに行きました。会長として苦労も多いと思います。協会幹部なんて僕は絶対にイヤ、というか務まりません。

 〈落語家にとって寄席は「修業の場」といわれてきた。それは今も変わらない〉

 前座は、寄席の楽屋で師匠たちのお世話をしながら、いろんな人の噺が自然に耳に入ってくる。「捨て耳」というんですが、それがホントに勉強になる。そのうちに、どんな人でも“落語っぽく”しゃべれるようになるんです。寄席に出ていない流派の前座さんの噺を聞いていると、自分の師匠の噺しか聞いていないからどうしても硬い。落語らしい落語の勉強にはやはり寄席が一番ですよ。

 僕にとって寄席は「日常の場」かな。この日の出番に向けて一生懸命に稽古したりするような場所じゃなくて、お風呂や買い物みたく日常の一つとしての日常という感覚です。もちろん、貴重な出番をいただけるのはありがたいことだし、そういった気持ちで出られたらいいなと思っているんです。

 〈真打ちになって6年、今や弟子も2人〉

 自分も(弟子に)とってもらったから。もちろん際限なくじゃなくて、断ることもありますけどね。(習いにきた人に)稽古をつけるのも時間が許す限りやってるつもりです。

 趣味はないですねぇ。家族そろって晩ご飯を食べられるのは月に1、2回かな。朝は二日酔いがほとんどだけど、7時には起きて、子供(2男1女)と朝飯を一緒に食べるようにしているんですよ。

 神が降りてきたような「渾身(こんしん)の一席」ですか? これもないなぁ(苦笑)。きょうは良かったとか、悪かったなんて覚えていない。“引きずる”のはよくないですから。ガツガツしていないっていうか、すごい達成感もないんです。そのかわり、忙しくて息切れしてしまうとか、やらされてる感もない。周りからいわれて「そうすか、そうすか」って、フワフワとやってきた感じですかね。僕は落語が嫌になったりやめたいと思ったりしたことがまるでない。こんなに楽しくていいのかなぁって。甘いのか、この先につらい大きな壁があるのかもしれませんけどねぇ。(聞き手 喜多由浩)=次回はタイ警察大佐の戸島国雄さん