歌舞伎俳優・松本白鸚(4) ブロードウェーで拍手喝采

話の肖像画
米ブロードウェーでの「ラ・マンチャの男」のカーテンコール(本人提供)

 〈昭和44年4月、日本初演のミュージカル「ラ・マンチャの男」に主演。周囲に侮られようとも、愚直に“見果てぬ夢”を追い求め、死にゆく男ドン・キホーテの物語。翌年には米ブロードウェーでも、日本人として英語で初主演を果たした〉

 実はブロードウェー主演の一報は、産経新聞の記者さんからもたらされたんです。44年の9月に電話をくださって、ニューヨーク・タイムズの記事に、来年ブロードウェーで国際ドン・キホーテ・フェスティバルが催される予定で、世界各国のドン・キホーテ役者が出演するとある。日本のソメゴロー・イチカワ(当時)の名前も出ているが、正式に話が来たら受けますか、と質問されました。初耳でした。反射的に「受けます」と言っちゃったんです。

 〈その日から舞台出演の傍ら、エンターテインメントの聖地での主演舞台を目指し、猛稽古をスタート。12月には紀子夫人との結婚式も控えており、多忙を極めた〉

 1日が24時間以上あれば、と何度思ったことか。当時は誰一人、私が本当にブロードウェーで主演できるとは思っていなかった。でも“できる”条件が次々と出てきたんです。私は早稲田大の入試もフランス語で受けたくらいで、英語はできなかった。

 ところが父(初代白鸚)が以前、「勧進帳」を教えたブロードウェー俳優のドン・ポムスさんが、日本滞在中と分かった。連絡を取ったら、「弁慶を教わった恩返しに、せりふを教える」と言ってくれ、洋書店で台本を2冊買い、翌日からマンツーマンで猛特訓です。無謀というか、役者の業というか、運命だったと思います。いい企画、いい役、いい芝居の話が来ると「やる」と言っちゃう。

 〈翌45年1月に渡米。夕方まで舞台稽古、それから舞台英語の個人レッスン、と寝る間も惜しんで没頭した。3月2日、マーチンベック劇場で初日を迎える。幕が下りると、ブラボーの嵐が押し寄せた。5月9日まで10週間、計60ステージに主演した〉

 ブロードウェーでの初舞台は、自分の鼓動が聞こえるほど緊張しました。無我夢中で演じ、カーテンコールで、米国では全く無名の27歳の俳優を拍手喝采で受け入れてくれたことに、心が震えました。外国人の中でただ一人、英語で歌ってしゃべって2時間半。日々、舞台上で燃焼し尽くし、ホテルに帰ると死んだように眠り、毎日起きると夕方でした。

 〈ドン・キホーテ役は、弁慶と並ぶ屈指の代表作となり、近年は演出も兼ねる。さらに「王様と私」でも平成2年に半年間、現地カンパニーの招聘(しょうへい)を受け、英ウエストエンドほか英国各地で、207ステージに主演した〉

 「ラ・マンチャ-」の主題歌「見果てぬ夢」を歌うとき、いつも2人の男を思います。この歌には(東宝の重役で劇作家・演出家)菊田一夫と父、初代白鸚という男の夢が詰まっている。菊田先生はミュージカル俳優としての私を産み、育ててくれた。父は私を高麗屋(こうらいや)の跡取りと認めた上で、米国で見た「ラ・マンチャ-」を私にやらせようと菊田先生に懇願して上演権を得てもらい、ブロードウェーに行かせてくれた。いわば2人の男が、私に“見果てぬ夢”を歌わせてくれた。

 この歌を1200回以上、舞台で歌ってきましたが、それは2人の男への、レクイエム(鎮魂歌)でもあるんです。(聞き手 飯塚友子)