ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(5)1人暮らしで地元が元気に

話の肖像画
地元の商店街を歩く翔子さん(右)と母、泰子さん=東京都大田区(桐原正道撮影)

 〈思い切って、翔子さんに「ダウン症」とはどういうものか聞くと、笑顔で「赤ちゃん」という答えが返ってきた。泰子さんに説明してもらった〉

 4年前、私も勇気を出して聞いたら、「書道のうまい人かな」と答えていました。翔子は、ダウン症のことは分からない。でも、ほかのダウン症の子のことは、後ろからでもすぐに分かるようです。

 翔子が20歳になったとき、「30歳になったら1人暮らしに挑戦しようね」と話しました。私がいなくなったときのことを考えてです。

 30歳を迎え、近所にアパートを借りました。引っ越し荷物を運び、最後にピンクのスーツケースで家を出たときに、私が「行ってらっしゃい」と言ったら、翔子はこちらを振り向いて、「お母さま、さようならでしょ」と返してきました。以来、翔子は1人暮らし。毎日、買い物も料理もしています。中華料理なども上手。こちらの家には帰ってきません。

 翔子は地元(東京都大田区久が原)が大好きです。米ニューヨークの国連で講演したときは、NHKの取材も受けました。だけど翔子は国連が何か分かっていない。それよりも、地元の公民館で顔見知りの人たちがいるところで、話をするほうが楽しいんですよ。街のお掃除をやったり、お金を握りしめて買い物に行ったり、そっちのほうが翔子にはうれしいんです。

 この間は、交番のおまわりさんに「翔子ちゃんの魔法のつえが、この街にキラキラを降らせてくれました」と言われました。

 地元の商店街はかつてシャッターが目立っていました。だけど翔子はスーパーではなく、商店街の小さなお店に行って買い物するのが好きなんです。そういうお店の人たちが翔子を見守ってくれ、助けてくれます。だから、障害のある翔子の1人暮らしが成り立っているんです。

 この前なんて、私が買い物に出たら、翔子がパン屋さんの前の椅子に腰掛けて足を組んでお茶を飲んでいたんですよ。そんな翔子のメルヘンの世界をみて、街の人たちも喜んでくれています。街に新しい文化が生まれています。翔子の純粋な魂がうまく現実の世界と溶け合っているのをみて、私もうれしい。昨年、上野の森美術館(東京)で展覧会をやったときも、地元のみんながバスを仕立てて見に来てくれました。私は「ああ、翔子は1人でやっていけるな」と安心しました。

 障害のある子の母親はみんな心配するんです。私もそうでしたが、大丈夫なのよ。重い障害を持つ人でも、誰かが助けてくれる。でも、自立心は大事。少しずつでも自立させることは重要です。滅びそうな街に障害のある人の施設をつくったら、みんなで助け合って生きていけるのではないでしょうか。

 翔子はいま、マイケル・ジャクソンのように踊る天才少年、あさひくんに夢中。彼が突然やってきてもいいように、部屋はいつもきれい。時計も読めないはずなのに、この取材にもちゃんと遅れずにやってきた。1人で暮らすようになって急に頭が良くなりました。計算はできないと思っていたら、自分の生活にいくらお金がかかるのか、ちゃんと考えるようになりました。自立することで、成長しています。普通より遅くてもいいじゃないですか。神様に感謝、感謝です。(聞き手 内藤泰朗)=次回は歌舞伎俳優の松本白鸚さん