ダウン症の書家・金澤翔子 母・泰子(4) 大丈夫なようにできている

話の肖像画
着物姿でダンスを披露=東京都大田区(桐原正道撮影)

 〈「書の神様が降りた」。そう評される作品が翔子さんにはある。21歳のときに揮毫(きごう)した「風神雷神」(京都・建仁寺蔵)は、構図が俵屋宗達の国宝「風神雷神図」と同じだ。被災地など全国巡礼で書き続けてきた「共に生きる」や「希望」「命」「光」なども多くの人の心を動かした〉

 翔子が30歳、愛媛県立美術館で世界一大きな「般若心経」を書いたときのことです。縦4メートル、横16メートルの作品を美術館の壁にクレーンで吊(つ)って飾りましたが、展示後、置くところがなく、捨てるしかないな、思っていたところ、それを聞いた1人のお坊さんがぜひうちに欲しい、と言われ、買っていかれました。そのお寺は、作品に合わせて大きなお堂まで建立したのです。静岡県浜松市の龍雲寺(りょううんじ)です。

 延暦寺や中尊寺、建長寺、建仁寺、東大寺、薬師寺、伊勢神宮、熊野大社、厳島神社、春日大社など大きな神社仏閣に作品を奉納するという、夢のような大仕事を、翔子はわずか12年でやりました。

 それでも、自分が偉いとか大変なことをしているという感覚は、翔子にはない。テレビに出演し、新聞で大きく紹介されるよりも、地元の書道のミニコミ誌に小さくても自分の作品が載っていることがうれしくて仕方がないんです。若者たちに人気のユーチューバーにも憧れています。

 〈著名なユーチューバーを自宅に招待して手料理をごちそうするのが、目下の翔子さんの夢だ。泰子さんと話しているときにマイクを見せたら、翔子さんはマイクを持ってラップミュージックのリズムを口で刻み、踊り出した。しかし、着物ではうまく踊れない。代わりに、マイケル・ジャクソンの曲に合わせて踊る自分の姿の動画を見せてくれた〉

 翔子は、困った人がいると一緒になって困り、悲しい人がいると一緒に泣くんですよ。しかし翔子には暗いものや悲しみはない。翔子から出てくるのは、明るさと喜びだけですよ。

 うちの書道教室の生徒さんには、障害のある子が多い。その子たちを見て思うのは、人にはそれぞれの時間があるということです。人よりできなくても死ぬまでにできるようになればいい、ということなんです。親が苦悩し、心配しなくても、全部が大丈夫なようにできている。世界は本当はそういうふうにできているのではないかと思います。

 不登校の子でも、障害のある子でも、最後はちゃんとうまくいくようになっているんです。「そんなに頑張らなくても大丈夫よ」。泣きながら訴える親に、こう伝えることの大切さを翔子に教えられました。社会的にみれば障害のある人かもしれない、かわいそうに映るかもしれないけど、当事者側はそうは思っていない。楽しく、明るく暮らしている。そんな素晴らしい世界と翔子たちはつながっている、ということがようやく分かりました。

 「翔子さんの字を見て死ぬのをやめました」。そんな手紙をもらったことがあります。親はどうしても子供に期待し、頑張ることを求めます。でも社会がその子に合わなかったら苦し過ぎます。生きていることこそが素晴らしいんですよ。社会をあきらめたら、本物の世界が見えてくる。学歴がなくても幸せになれるんです。翔子にそのことを教えられました。最初は苦しみました。でもね、翔子がダウン症を持って生まれてきて本当に良かった。今、はっきりとそう言えます。(聞き手 内藤泰朗)