五木寛之さん、遠望する「青春の門」 完結へ84歳の挑戦

 
インタビューに答える作家の五木寛之氏=5日、東京・高輪のグランドプリンスホテル新高輪(酒巻俊介撮影)

 昭和44年に書き始めた大河小説『青春の門』の完結をめざし、五木寛之さんが来年から「週刊現代」で23年ぶりに連載を再開する。84歳の挑戦である。再開のきっかけ、物語の構想について聞いた。(桑原聡)

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 12歳のときに外地で敗戦を迎えた体験が、五木さんの人生観を決定した。人生には自分の意志や努力ではどうにもならないことがあるということだ。五木さんは風に逆らうでもなく、乗じるでもなく、風に吹かれて生きてきたという。それは、人は「大いなるもの」によって生かされているという「他力」の思想につながってゆく。

 連載の再開も風に吹かれた結果だという。具体的には3つの要素が奇跡的に重なった。自分の気力と体力が充実している、連載の舞台が用意されている、多くの読者が連載の再開を望み、それが地熱のように伝わってくる-の3つである。

 「主体的に流され、たどりついたところに耕すべき土地があった、というのが実感です。実際問題、今を逃せば、完結させることはできないでしょう。これがギリギリのチャンス」

 『青春の門』は、ソ連に密入国した伊吹信介が、14歳の少女、アニョータとともにポーランドを目指して旅を始めるところで途切れている。昭和35年、信介25歳である。

 五木さんはこんな結末を構想しているという。漂流を続けた信介が29歳で筑豊に戻り、閉山で荒廃した故郷をボタ山の上から眺める。そして自分の青春が終わったことを実感する-。それは、日本という国の青春の終焉(しゅうえん)とも重なる。

 「そうは言いましたが、建築的、構造的なヨーロッパの小説に対して、僕の小説は出たとこ勝負で即興的。風に吹かれてどこへ行くか。結末もどうなるかわかりません」

 結末がどうなるにしても、五木さんはどんなふうに物語を織り上げていくのだろう。

 自身を「海山稼ぐ者」、つまり殺生や遊芸を生業とする者と規定する五木さんは「できるだけ通俗的な物語として書いていきたい」という。41年に『さらばモスクワ愚連隊』でデビューしたときから、自身の小説を「軽薄」と同義であった「エンタテインメント」と呼んでいた五木さんらしい言葉である。同時に「昭和という時代の空気を描きたい。空気は小説でこそ描けると思います。物語の舞台は半世紀前です。これだけ時間的な距離が空けば、“新時代小説”として書けるはず」とも。

 インターネットの影響も大きいのだろう、時間をかけて大河小説を読むということがなくなり、例えばロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』のような長い物語が、書店の書棚から次々と姿を消している。この流れに対して五木さんは「反時代的でありたい」と、物語作家としての自負心をたぎらせる。

 時代の鋭敏な観察者でもある五木さんが、現代の難民問題やテロ問題を通して考えたことを、どのように小説の中に生かしていくのかも楽しみのひとつである。さらに、性をどう扱うかについても。高校時代に『青春の門』を通して性を学んだという読者も多いのである。

 「性描写が嫌われたのでしょう、学校によっては図書館に入れてもらえないところもあるんですよ。それはそれとして、これから書くのは、距離をおいて遠望する青春です。渦中にあって見えなかったものも見えてくるのでは、と僕自身が期待しています」

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【プロフィル】五木寛之

 いつき・ひろゆき 昭和7年、福岡県に生まれ、平壌で終戦を迎える。早稲田大学露文科中退。昭和42年、『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。51年、『青春の門 筑豊篇』で吉川英治文学賞、平成14年には菊池寛賞を受賞。『青春の門』は筑豊に生まれた伊吹信介の軌跡を描く大河小説。これまで筑豊篇、自立篇、放浪篇、堕落篇、望郷篇、再起篇、挑戦篇、風雲篇(前半)と書き継がれてきた。