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白洲次郎のシビック--GQ JAPAN編集長・鈴木正文

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 服だけでなく時計にも、それを身につけるときには約束事がある。けれど、そんな約束事を破れなければ「オシャレ」ではない。『GQ JAPAN』2019年1・2月合併号・時計別冊のためのエディターズ・レターが説く。

文・Masafumi Suzuki @ GQ

 1973年から1974年にかけての石油ショックによる物価全般の急上昇が、「狂乱物価」なる造語を生んだころ、白洲次郎がホンダ・シビックに運転手つきで乗っていたことがある。当時71~72歳だった白洲の愛車は、ケンブリッジ大学の学生時代にベントレーに乗ってレースにも興じていたカー・エンスージアストのかれらしく、1968年型のポルシェ911Sであったが、公用のときはもっぱらショーファー・ドリヴン・カーの住人で、大きなメルセデス・ベンツに乗っていた、というのは夫人の白洲正子さんから直接に聞いた話だけれど、石油価格が高騰し、エネルギー危機が叫ばれて、日本中が軽いパニックに陥っていたこのときは、正子夫人によれば、押し出しの強さにかけては並ぶもののない大型メルセデスをやめて、日本車ではいちはやくマスキー法の規制に合格したエンジンを積むホンダ・シビックに乗り換えた。わずか1.2リッターの4気筒エンジンが発揮したパワーは60psとたかが知れていたけれど、800kgを切る軽量ゆえに、それなりに活発に走ってクルマ好きには人気だったシビック(初代)である。

 いっぽう、それまで白洲が乗っていたとおもわれるのは、4.5リッターのV8を搭載し、車重はシビックの倍ではきかない1.8トン近くに及んだ巨艦、W116型メルセデスのトップ・オヴ・ザ・ラインだった。

 なぜシビックだったのかといえば、理由の第1はもちろん、燃料消費の節約にすこしでも貢献することにあったけれど、もうひとつには、このエネルギー危機のご時世にもかかわらず、あいもかわらぬ黒塗りの大型車に運転手付きで踏ん反り返って後席に乗っている政財界のお歴々にたいしての、白洲らしいステートメントであった、という趣旨のことを正子さんがいっていたのを覚えている。

 そういえば、白洲はシビックに乗っていたときも、そしてメルセデスのときでもそうだったようなのだけれど、しばしば後席ではなく助手席に乗った。ヨーロッパでは、運転手がいても後ろの席ではなく好んで助手席に座る紳士がけっこういるし、白洲は、「こっち(助手席)のほうがいい席なんだよ」といっていたという。しかし、「常識」にとらわれない白洲のそんな行動のために狼狽すること多々だったのは、帝国ホテルのようなエスタブリッシュメント御用達の高級ホテルのドアマンだったらしく、車寄せに横付けされた白洲のクルマの後席ドアを当然のようにうやうやしく開けると、そこにはだれもいないことを発見してぎょっとしたからである。ましてや、ちっぽけなシビックの助手席から白洲が降りてきたのでは、呆然としたであろうにちがいない。

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